少し前に、おひとり様で戸隠に行ってきました
夏野菜が落ち着き、稲刈りが終わって、秋分までに色々な意識の整理をしたいタイミングで日常から離れる時間がもて、お天気も雨予報が曇りに変わり、圧倒される自然のエネルギーに包まれて、とても良い時間になりました
戸隠神社は、古くから水の神、豊作の神としての神格を知られていて
荒草を刈り払い、豊かな土壌を作り出すために、初めに農作業で使う道具としての鎌をご利益の象徴として形にしたのが、戸隠神社の鎌卍の社紋であるといわれています
当日はサトル米も奉献させていただき、初めて訪れた土地にご縁を繋がせていただきました
サトル米2020
やり切ったと、決めきるという体験ができたという意識でしたが、その行動のもとになっている意識は「~でなければ」「~してはいけない」という自分に染み付いた「制限」でした
自分の掲げた在り方へ向かう意識などなく、ただ制限に囲まれてもがくように抜け出たような行動でした
そんなことが全く全く理解ができていなくて
その日のこと、目の前のこと、次の作業のこと、その選択でもう頭がいっぱいで、どこへ向かっていこうとしてるのかが、全く見えても感じられてもいなくて
創造、創り出す世界を想うことも、感じることもなくしてきた選択でした
ただ、魂の成長を理解したいという強い想いで進んできました
そこを諦めずにやり切って、乗り越えられた怖さがあって、やっと理解ができたこともあったけれど
起きていることに対して、自分が設けている制限があまりにも「あたり前」で「正しく」て「間違いなく」て
怖さにまみれている事はわかっていたのだけれど、周りに迷惑をかける訳にはいかない、草まみれにするわけにはいかない、「~はいけない」そんな意識からの行動でした
そんな私が創造できた世界は、どこにも向かっていない
私の制限に囲まれた小さな小さな世界の中
起きてくることの事象ではなくて、その事に自分がどう対応してどう反応してるのか、そこを全然客観的には見れてなかった
目の前に見えてくる世界は、誰かが起こしてくれる、神様が全てを見せてくれる世界ではない
私の意識が創り出す世界だってこと
もちろんこれまでの事があってやっとやっと見えてきた事もたくさんあるんですけどね
今回はたくさん「門」をくぐりました
ここは、前日に寄った定番コースの善光寺
どこの門も、そこできっちり世界の空気がガラリと変わる
私もまた大きな節目の門をくぐって、ガラリと世界を変えました
自分の今の意識で何を選択しているのか
もう毎瞬間チェックを入れないとすぐ「ある程度」のレベルに緩んでしまいます
その緩みは正反対の選択を自分が許しているということ
まだまだ大きな先を定め切れたほど整理がついたわけではないけれど、やりたいこと、できないこと、あきらめたこと、出来そうになくて拗ねて向かい合ってこなかったこと、やりたいことのようで無難な選択をしていること、まだ見たこともない世界をみようとすること、色んな考え方に触れること
たくさん楽しく想像していけるように
私は、ダウジングで聞くことができるし、問うことができるのだから
大丈夫、そのタイミングがきたからこそなんだ
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