今日は、この辺りでも揺れの大きな地震かありました。
その時にしたこと、考えたこと、自然と頭に浮かんだことが、素直な自分の意識だろうな、と思いました。
ビルの4階にいて、私には長く感じたのに、机の下にも入らなかったし、戸をあけて出口の確保をしはじめたのも、時間がかかりました。
自分一人なら、きっと立ち上がるなり、机に入るなりしたと思います。
でも、一緒にいた人が動き出さなかったので、あ、ここではこのぐらいでも大丈夫なのかな、と思ってしまったのです。
中学校では、生徒はみんなすぐ机の下に入ったらしいです。
私は出掛けていたので、旦那さんに、揺れたねーと今いる場所を伝えました。
このあと何かがおこった時に、私がどこにいるのかは、知らせておいたほうがよいなと思ったからです。
旦那さんの職場は、人数も多いし、階もかなり上なのですが、みんな停止状態だったらしいです。
こんな風に、きっと何もできないままなんだろうな、と感じたといいます。
姉は、トンネルを運転中で、携帯の緊急連絡が鳴るけど、揺れが感じられなくて、状況が把握できないトンネルで、みんなにもう会えないかもしれないと思ったと言ってました。
旦那と子どもたちとは、外出先でのその後の判断や、それぞれにいるときの判断をどうするかや、どう待つのか、待つのか探すのか、など、話し合いをしていますので、とにかく自分をどう守るか。
だったのに。
判断を、一緒にいた人に委ねたな、わたし。
と思いました。
よい教訓になりました。
パニックになったとき、いかに客観的に冷静に、自分と周りを見れること。
以前から、ゾンビから身を守る海外のドラマをみたらいいよ、と言われていました。
パニックのとき、人がどんな判断をするのか。
なるほどなぁと感じています。
今日出た自分の感情、執着、もっともっと深く見ようと思います。
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