結果よりもその過程が大切なんだということが、全然腹落ちしてなかった
そう書いたこともあったけれど
全然理解できていなかった
ゴールなんてなくて
いつもいつも通過点であって
解り切っていることも、完璧にできていることもないのに
自分の生き方のクセ
そうやって出来ているテイで表をバリアしてないとソコ強く突っ込まれるから
適当な言葉も瞬時にハサミながら
完成形でいないと居られなかった
思考錯誤しながら、失敗しながらいることが
目をあけて見ていられなくて
目をつぶったままジェットコースターに乗っているような感覚で
途中でも、できている姿を表に作って
「未完成」
そんな状態を長く自分に許すことが
まだ!できていなかった
思考錯誤を楽しむことができなかった
6年目のお米作り
無農薬で2年目
草だらけの水田で写真を残すこともしたくなくて
きれいに除草された教科書の画像だけが頭にあって
なんでこうなってるのか
どうしてこうなっちゃうのか
そこに意識が向けられなくて
早く
早くその完成形にと
意地になって 硬くなって
いつもゴールがスタートで
完成なんてものには追い付かない
進化し続ける世界
そこに生きていて
長くこんな意識でいて
ずっと目つむってるやん
だからダウジングの質問も全然進歩ができないでいて
どこを突破口にしたらいいのかわからなかった
目標を設定できても、あとは少し目を浮かせて
能天気では空振りで
辛気臭くなってはその硬さのまま
これは私特有の問題かもしれないけれど
絶対においそれとはできない事(お米作り)を必死でやってみてわかったこと
そりゃそうだ去年までは「やり切る」という意識さえ知らなかった
今年、できるんじゃないかと思って作業をしていると
目に見える土の様子と道具を押す腕の重さと足の裏に感じる土の感覚で
ん?
と思える感じがあって
問題がある部分とうまくいく部分の感覚の違いがわかってくるように
去年はこんなこと思いもしなかった
ずっとそうやって目をつむって取り繕った鎧で生きてたのか
今年の投稿のハッシュタグにはじめて「よろこび」「歓喜」と書きました
作業がキレイにできそうだったからかと思っていて
でもやってみて
これは一度に理解して作業でききるもんではないと思えて
去年の私に、あれはあれでただ必要な時間だと
やっとそう思えて
それでも去年は胃がいつもあがっているような緊張感や嫌な思いがずっとあった
今も
いつも何かの途中を生きていて
今もただ必要な時間
やっと今に着地できたような
そんな気がしました
そんな今日の夕焼けが映り込む「サトル米 2021」の様子です
ここからしばらくは水を張らない管理が続きます
書いてみると、思った以上に当たり前のことすぎて
それでもこの今の隙間になかなか自分を入れ込むことができなかった
時間をかけずぎてしまったけれど諦めはしなかった
自分と時間の距離が全然違うんだよ
そして何より
全てが急に楽しくなった
ありがとう
そして何よりこの身体が動いてくれることに
今までがあるからこそ
深い感謝を感じられる
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