わたしの言葉を
意味や理解ではなく
右脳で受け取り
感覚で感じたり
私が自分自身を
感覚で手探りで探していた
その言葉が
相手の探求の触手に
息を吹きかけたような
感覚を
そんな言葉を
かけて頂いて
何も言わずに
握手の手を差し出してくださった方もいて
もう何年も生きていて
みんな生きていて
仕事とか
何かのやり方ではなく
ただ毎日生きていることの
そのものが
わからないことが怖くて
いのちそのものが
何かを間違えているのか
ずっと動いている手も
歩いていることも
親という立場で
手に取るものが
差し出すものが
言葉が
間違えているのかもしれないと
答えを探して探して
本に書いてある「回答」のような
計算の答えのような
わかったような言葉を
さらりとテストの回答のように
答えていたわたしが
もう学ぶなと言われ
それが私の答えではないと言われ
全く意味が理解できなくて
何をこたえればいいのか
どこを見ればいいのか
わからなくて
わからなくて
考えないということを
考えまくって
それでも
ひとりぼっちになっても
砂粒ひとつの決定権も
もう
誰にも渡さないと
感情と
それを引き起こすモノの
よじれや距離をなくしながら
「やってきた」
そういう感覚も
ちゃんとあった
正しさや
間違いではなくて
説明書でも
解析でもない
言葉の意味ではない
その心の触手の感覚で
相手の触手に触れるような
そんなやりとりが
「できたんだよ」って
おーいと肩を揺すられているようで
わからないフリをしようとしても
またわたしがわかるように改めて
伝えてもらったり
この間から
何だかんだと
小さな贈り物が届くことが重なって
メッセージが届くようになって
できたのかなぁと
ちょっと紐がゆるんだように
座りなおすと
めちゃくちゃに
泣けてきて
昨日
ほんとに嬉しい!
めちゃくちゃ嬉しい!って
みんなに伝えた時に
ごまかさずに
ちゃんと
泣けば良かったなって
ちゃんと見てもらえば良かったなって
そのズレだよー
ごまかしたな
って思いながら
しっかり受け取って
奥からすくいあげて
ありがとうと改めて
目を向けなたくないこともある
けれど
ちゃんと向き合っていると
ご褒美からも
目を背けられないように
ちゃんとお誕生日席のような場所に
連れて行ってくれるし
自分で座ることも大事
そうだったな
そんなことも
ちゃんと教えてもらってたのに
そんな自分の世界との
信頼
誰との
どことのでもない
自分の世界との信頼
2022の振り返り
年が明けて
一番に呼ばれて見た初日の出は
太陽柱という
真っ直ぐにひかりがのぼる
太陽で
なんとなくそれを見て
この1年
言ってること
やってること
おもってること
きっちり
改めて揃えていこうと
余白に置いてるものの純度をあげて
そろえていって
余白が切れても大丈夫なようにしようと
すぐに全部
手に握れるくらい
揃えられたらとおもっていて
それくらい純度があがれば
相手の奥にある
その純度の領域に
同じところに
そっと
触れられるのかもしれないな
なんて書きながら
このところ
自己犠牲の奉仕はしないと
農園をやりはじめて
周りとの関わりを選んでいきながら
決めていたことをおもいながら
自分が自分のためにやってることが
まわりのためにもなる
そういう自分の使い方を探していて
何ができた訳でもないけれど
何もできなかったわけではないなと
人からの評価を求めて
紙一重の階を歩かないようにしようと
思いました
改めて
ありがとう
本当は泣くほど嬉しかった
泣くのをごまかしたほど
嬉しかった
そんな時間だった
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