岡山に行ってきました
1月に行った時に訪れた神社とは全く雰囲気の違った神社に参拝させて頂きました
とても、柔らかい、優しい、本当に桃のようなとろりとした穏やかさ
左へ 右へと作法通りに茅の輪くぐりもさせていただいて
ここはほんとに穏やかに祓いをしてくださる場所でした
穏やかでありながら 身体の感覚はとても澄み渡っていく そんな包み込まれるような場所
前回1月に講演会に来させていただいてから、2月に計画的に手術をして、第2回目の講演会は緊急事態宣言が出されていたこともあって自粛
この日は最終回3回目の講演会でした
1回目の講演会では、講師の先生がこのタイミングで何を、どうお伝えされるのか 私も学ばせていただいた事を伝えていかないという気持ちがあって参加をさせていただいていましたが
思いのほか「死」についてのお話が主にあって 知らないこともたくさん教えていただいて
そこから自らも手術を受け、2月末に義父を看取ることになりましたが とても落ち着いて 私なりに咀嚼のできる体験としてその時間を過ごすことができ
有難くも不思議な学びのタイミングをさせていただいたなと感じていました
今回も内容は私にとっては「知っている事」として認識していながらも、今の日々の意識にきっちりと反映させられていない部分のあった陰陽のお話と
手術以降に心身ともに体感をしていた成長に伴うご指導の変化のお話で
ぽんと置かれたお言葉に 多くの体感と学びが結びついていき
講演前の参拝で穏やかにすっきりとした身体が、さらにほどかれていくような内容でした
コロナ対策もあり 大きな会場で広く配置された会でしたが
講演会のあとに 先生とお話させていただけるタイミングがありました
思いもよらず先生がお隣におられて 少し落ちつた時間が流れていて
私は前回の講演会からの体験と前回ブログにも書いた、私自身の在り方のお話をさせていただきました
少しずつ 少しずつ どうしても伝えたいことから伝えて
周りの皆さんもどれほど先生とお話されたいだろうと思いながらも
いつも賢く?遠慮しているけれど せかされる感じがあるのは自分の中だと
このタイミングを私も大事にさせて頂こうと
私の在り方でいいのかなと思っているところですと
そうはしょりながらも話しきって
先生は「もうそれは合格でしょう」と言われました
先生が「それで良い」ではなく「合格」といわれた事に
私は涙がでてしまって
これまでの何年もの学びの流れであること それは私にしかわからないことかもしれないけれど
それでもこみ上げてくるものにのせて
いつも出来なくて 落ちこぼれていて 勝手に思い込んだ世界に居て
自分なりの 自分だけの世界へのアプローチの仕方をしてこなかったんだと
真似ばかりして探してこなかったんだと
出しきって
この「確信」を先生からお言葉をいただかなくとも自分の判断で「合格」と「あっている」と確信できないといけないと
この判断を頂きに来てしまったと先生にお伝えしました
緊張がないわけではない
それでも ここまでそこに問題があってもいいと思える意識と
いつも持ちあわせていた自分の至らなさへの不安と恐れが消え
信じること 信じられることへの感謝と
学ばせていただける感謝と
ご縁への感謝と
教えへの感謝と
新しいご指導への良い緊張感と
変化 速さへの心づもりと
穏やかさ
穏やかに居て
めちゃくちゃ努力します
生ききります
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