先月末の満月の日に、はじめましてのみなさまとご一緒させて頂いて「剣山」に登拝させて頂きました
戸隠に行ったあたりからその日まで、意識を整理しつつ、ここまでの今の自分の意識が何処へ向いていたのか、何を意識していたことによって何が結果として表れていたのか
こんがらがった、自分が締め付けていた意識のからまりを読みほぐすような時間を過ごしていました
とにかく緩みとは遠く、必死にのりこえてきた時間だったので
剣山へ行くという判断なら必ず起こることがあるから、それがどんな方向でありたいのかという事を意識していましたが、その時に意識にあったのは
自分の意識している世界の狭さが感じられない
自分が何を求めていて
どこへ導いているのか
導いている意識が明確に感じられない
それでも私が向かう先へのヒントとなる日であることは確かだという意識ではいました
それでないとリラックスでもなく今行く意味がないので
剣山に向うあたりから、手が熱くなってピリピリしてきていて
そういう、不思議体験というか不思議体感というものを、例えば天然石売り場でひどい石酔いをしたりだとか、色々今までも感じてきてはいたのだけれど
どこかフワついた、特別な能力だと勘違いして、あらぬ方向に行きそうな、そんな感じがあって気にしないようにしていたのだけど
この日はそれではもうおさまりがつかないような体感が強くて
ポイントポイントによって、目を瞑るほどにシパシパするほどの感覚があったりして
とにかく帰って来て、翌日こちらの神社に参拝を済ませたことを同行のみなさんに報告したあたりから、ひどく酔うほどの強いグワングワンした感覚があって
そこに身体が慣れるまでに、とてもとても時間がかかってしまいました
季節の変わり目なのかとか、疲れが出て来たかとか
頭で考えていたけれど
今まであまり気にとめていなかったこの体感に意識を向けてみようかと
少し落ち着いた今、思っています
同じような体感を持たれていた方もおられましたが、グワングワンに慣れると、身体はスケルトンの発光体のような体感です
登拝のあとは同行のみなさんとお食事をさせて頂いたのですが、関東など割と遠方から参加の方もおられて、見える世界も見えない世界も含め地域や仕事から歴史やこの先の時代への道に地域を世界をどう進めようかという意識を持たれている方もたくさんおられて、自分の意識の振り返りばかりの世界にいた私の狭さをよくよく感じられた時間でした
偶然ではなく、あつまるべくして集まった縁のあるメンバーだというお話もありましたが、これからそれを確信したメンバーが知っていくのかもしれません
小さい時からとにかく訳も無いひどい怖がりのわたし
戸隠で、一人で寝る事に慣れようとしましたが、あんまり克服はまだできておらず
タイミングで数人で寄った鍾乳洞に怖くて入れないと入口で立ってる姿です
(中への入口側から撮られてる 笑)
が、天岩戸でもないけれど、中から聞こえる歓声に我慢ができず
「すいませーーーーん!わたし、出遅れましたが追いかけてすぐ入ります!」と叫んでギリギリ最後の方に残ってもらって中に入ることができました
もうこのタイミングでないと逃すな、と思って
充分出遅れてはいましたけど
すこしずつ
自分が何を理解できていないのか
ここかな、と思えるようになってきました
それが見られるようになった時
それが道しるべとなって
次の課題へと進むのだろうと思います
できるようになった事よりも
今理解できていないこと
今できないこと
自分の限界を少しずつ押し上げていく
剣山の山頂から、先へ続く道
向こう側から来た道ともいうか
山頂手前で少しフリーになって
時間が無い中でどうしてもここに立ちたくて小走りで見に来た景色
ほんの数日後の剣山には、もう氷柱が降りていて中腹でも-2°Cだったようで
リフトも今月の23日が最終で春までおやすみです
この日はあたたかい風も穏やかな山頂でした
この日の事がどうなっていくのかではなく
この日を自分の在り方にどうつなげていくか
自分の知らない仕事や意見や取組や歴史や、初めての景色に出会った一日
ガイドの先生方、同行のみなさまありがとうございました
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