本当は自分がどうしたいのか。
そこにたどり着くことは、そう簡単では無いように思います。
そんなことすら、きっと見えていないことが多いのです。
しっかりと親の世界観から抜け出して、過去に戻らず、未来の不安など感じることもなく、覚悟と責任をしっかりと味わって、誰と比べることもなく、持っているもので自分を誇示せず、ただ素直に右か左かを選ぶ。
それは、簡単では無いように思います。
どうしようもないこと。
仕方のないこと。
どうにもならないこと。
そんなものをゴロゴロ抱え込んでいたら、本当に体の芯から覚悟を決めたり、怖いぐらいの責任を負うという感覚がわからないように思います。
取り繕ったり、ただの自分のご機嫌でフラフラと思いが変わるようでは、相手の様子もフラフラと変わっているはずなのです。
だから、うまくいったり、腹がたったり、波がでる。
自分の正しいと感じている傲慢さにオエッと気がつくことも、いちいち人が言うことに、勝手に劣等感や被害者意識を感じて勝手にザワザワしたりしている癖にも、気がつくことがとても難しいのです。
そんなに覚悟がいることある?
毎日の生活でそんなに責任、まかされること、ないし。
そんな風に思えたら、そこを誰かに明け渡しているのだと思うのです。
いつまでも組織や誰かの下にいて、ただ指示を聞くことに慣れすぎていたり、自分でしっかりと判断しているという裏側で、誰かを、何かを制御しなくては気がすまない思いをうまく隠して、うまく制御できないことに大きくエネルギーを消費していたり。
そんなに簡単ではないように思うのです。
だからこそ、見ることをやめないで欲しいのです。
ただあきらめないことだと思います。
誰にでも到達できる、ただ自分にもどるということ。
自分の軸をあぁこれか、といらないものをどんどんひっぺがして、ぺらぺらとはがして、はがし続けていくのです。
自分の外に何か特別なものを求めることなどありません。
私も、最初は、求めているものは全て自分の中にあるという意味が全くわからなかったのです。
わからなければ、素直に求めて、ただあきらめないことだと思います。
でも、やるかやらないかは
『あなたの、自由意思です。』
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