せっかくゆっくりとお話しをする時間をとれたのに。
私に聞いて欲しいと、わざわざ来てくださったのに。
うまくアドバイスができなくて、はがゆくて、悔しくて、アプローチの仕方が間違っているのか、言われて嫌なところでもあるから、気を悪くされたかもしれないけれど、それが必要なんどけとな。とか。
そんな風に思っていた時。
本当は、この意識のお話しを、気付きのお話しを、私の感じてきたことの分かち合いをお伝えしたい。
この歓びを感じて見てほしい。
自分の感覚を、軸を取り戻して、自分を生きてほしい。
そう思っていたはずなのに。
そう
思っていたのに。
ちがってしまっていたことに気がついた。
あの人のように、明快に心理を読みといて、隠れた意識をぺらりと見せて、
そうかー。
なるほどねー。
『すごいなぁ』
そう思われたかったんじゃないかと。
他の人のblogが気になって、ワークショップが満席になっていくのが気になって、その人か何を言ってそんなすごい反響をもらっているのが気になって、そうなったら、自分の持っている意識が、正しいのかさえ揺らいできて、不安になってきて、
誰かに
『すごいなぁ』っていってほしかったのかな、私。
寂しかったのかな。って。
そんなエゴからのお話しで、相手は動かないな、と。
少し誰かに注目されたくて、すごいなぁと言われたくて、特別な位置にたってみたくなって。
あの人のようになりたくて。
普通で、このまんまでいること。
普通でいることへの恐怖を感じたのは、前もあったのに。
みんなに伝えたいという使命感の中に、誰からか特別な存在としてみられたいという意識。
うまく隠し持っておりました。
そんなことをしていたら、どんどん外の世界が気になって、そこに擦り合わせるように、意識をおいてしまうのではないかと思います。
普通でいる勇気。
嫌われる勇気は、アドラーですね。
今の自分を認めることの一歩だと思います✨
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