一番頼れて、一番の問題の種。
あぁ、この人がやってくれれば。
あぁ、この人さえ理解してくれれば。
この人の、ここさえ治れば。
この人が、あんな言い方さえしなければ。
そうやって、自分の思い通りにならない相手のことが気になって気になって。
でもさぁ、もう仕方ないやん?って解決しないまんま蓋をぱたん。
相手を自分の都合のいいように動かそうとする欲求自体が、きづかなければならないところ。
相手をどうにかこうにか、なんとか動かそうとしても、視点はそこではなく、やっぱり自分。
自分が、その事の何が嫌なのか、何を誰に見られたくないのか、何に困っているのか、何を頼りたいのか、何の責任をわけっこしようとしてるのか、何を欲しがっているのか、何を言ってほしいのか、ただ甘えたいのか、何を相手に確認したいのか。
自分が相手に伝えた言葉を、ごまかさずに書いてみて、客観的に見るのも良いと思いますし、友達に相談した時に、話した言葉を細かく見てもよいでしょう。
結婚というスタイルから、いかに自分に決定権の軸を戻すか、また、いかに自分で自分を責任をとりきるという覚悟をするステージまで持っていくか。
各々の人生、旦那様との暮らしの中でおさまる覚悟では、乗り越えるステージが足りない方もいらっしゃるので、よし、こうなったら私一人でもやりきらないと、という金銭面も含む大きな覚悟が必要になってくる場合もあるのです。
結局は、旦那様を当てにしている部分を、よーく見て、認めるのです。
そんな自分を気付かせるのです。
責めるのではなくてね。
旦那さま。
散々当たられて、怒られて、クドクド言われて、重いエネルギーを背中に感じながら、本当に理解できない女性的考えをぶつけられた挙げ句、色々やってみるも、言ってみるも、却下。
すると。
しらない間に、嫁は、ヨーシ、やるか!と、うでまくりして、さっぱりした顔で、新しいステージを生きはじめる。
それ、気づかせたの、俺!
そこまで持っていかせたの、俺やから!
理解ありまくりの旦那様やったらね、そこに自分の気付きと成長はないんです。
その気付きが、いらない人もいるかもしれませんけどね。
生まれ変わる前。
やっぱりとってもとっても大好きなあの人が、あなたのために、俺、君が気付けるように、こんな人になって君の前に現れるわ!そしたら、さすがにこのエゴに気付くやろ?気付いてね?
あれ?気付かないの?そしたら、もうちょっと困ったら気付く?あれ、こうかなぁ。これ言うたら気付く?
そんな憎まれ役を、私のためにしてくれてるなんて。
あなた専用の神様ですよ。
そんな記事を私も読んだのです。
視点を、相手を変えてみせるという頑固な自分の正しさから、自分を見るという意識に変えてみて下さい。
大変やと思います。苦しいと思います。
どう考えても、あの言い方が悪いし、あの考え方が違うし、私絶対にまちがえてないし!
でも、その大きな大きなどうしても見えないあなたのエゴのために、睨まれても、泣かれても、言葉を浴びせられても、それでも、それでも、あなたの気付きのために憎まれ役をかってでてくれている旦那さま。
あなたを、あなたが信じられないくらいの大きな愛で受け止めてくれているのです。
大好きだから。
愛してるから。
その見えなかった、自分の身勝手さや逃げ、甘さが見えた時。
感謝しかないのです。
愛だけなんです、もう。
*写真は、世界一周をされているサンという男性のOwndブログからお借りしました。
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