(つづき)
では、私がトランスフォーメーションゲームをどう進んでいったのかのおはなし。
まず最初に大きく出てきたカードは『屈辱』。
でも、これは痛みは伴わず、もう済んでいることらしい。
ここにきて、再確認。
きっと子ども時代の事。
私は三女だったこともあり、ずっと産まれてこなくてもよい存在であって、いらん子なんやな、と思っていました。子どもなりに本気で。
そのあたりのことは、もう数年前に自分と向き合い始めた頃にはすぐに見えていて、そうやって拗ねた目で見てきたものだけを握りしめていたことで、記憶に片寄りがあって、とてもややこしかったのです。
終わってることだからね、と、次のカードを引いたとき。ちゃんと話を聞いてないから、もう一枚ひきなさい、というカードが。うへー。
で、でたカード。
「これをしなさい!」
「あれをしなさい!」
昔ながらのちからずくの言い方になっていませんか?と。
む?
これに思いあたること。
そりゃあ子どもに対してしかないよなぁ。でもなぁ、もう最近は言ってなくないかなぁ私。
と、しばらく味わう。
すると、私の駒は、停滞し意気消沈というモードに。こうなるとね、気付きのワードが入ったカードが全部裏返しになってしまうのです。気付きもない。痛みもあるから進むこともできないのです。
うぅっっっ。まさに、完全に停滞。
『今までにこんな事、あった?』
……………あった。
あったなぁ。
旦那さんに対して、とってもとっても制御の欲求が強かった時。私の思った通りに動いて欲しい、私が理解できないことはやらないで欲しいという意識でいっぱいになっていた時。
そりゃあ当然旦那さんは、だまって制御されてる訳がない。でも、その頃は旦那さんのことがわからなくなってしまって、今までの人生の中で一番停滞したのです。
親や友達とうまくいかなくても彼氏がいたし、わかってくれたし、幸せだったし。
そんな逃げ場もなくなっていて、ほんとにほんとにどうしようもなかった。
ああ、私の気付きは家族だな。
そしてね。
ゲームに戻ると、その停滞から抜け出る方法がね、もう、たまらない。
愛がたくさんのゲームの他のプレーヤーの方が、気付きのワードが入ったカードをくれるのです。
同じボードを囲んでいるプレーヤーが、気付きをくれるのです。
ああ、私の気付きは家族だな。
そう思って並んだカードを見た時。
昔ながらのちからずくの言い方は、息子との問題だなぁと。
私、こう見えて昔の親と同じこと言ってるのか、息子には。
だから、あえて自分の子どものころの屈辱を再確認させてからの、このカード。
娘には言わないんです。
女の子は、愛嬌があって料理ができたら、自分のやりたいことをやっていけばいいって思えてるんです。それに、言わなくてもちゃんと全部やっちゃうし、成績も全然問題がない。
旦那さんとのことも、私が制御しようとしていたことに気付いてからは、お互いに自立して寄り添うことができたのです。
兄ちゃんかぁ。
私の今回の意図をもう1度。
私は、胸がふるえる壮大な創造へと進むにあたり、ブロックとなりうる事を明確に理解することを意図します。
周りの目や、評価を気にしない。他人の価値観に左右されないように、他人に自分のことを決めさせないように、自分の中心にしっかりと自分の軸を戻してくるように、そうやって自分と向き合ってきて、自分の内へ内へと入っていった時に、すべてに良いも悪いもないことも、委ねることも少し見えてきて、孤独を感じた時。
私は、家族の愛だけはしっかりと欲しくなり、とりわけ病気を抱えた息子から、母親として『必要とされる』ことにどっぷりと自分の価値を見いだすことを覚えていたのです。
(つづく)
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