今日は、販売に出ていたのですが、ぽんやりとしてしまって、感情が動かない。
なんだか変な感じだなぁとは思っていて。
朝も起きてからも、ダルさが抜けなくて。
でも、それはいつものことだったりします。
朝がとにかく起きれない。
無理に動いても、あとが続かない。
高校生ぐらいの頃からの持病もあったりで、そのダルさが抜けている午前中のほうが珍しく。
今となっては、原因がわからなくて、起立性機能障害の話を聞いていたら、私のことなんじゃないかと思っていて。
でも、とにかく今日はしんどいなぁと、夕方くらいに外にいると、肩のあたりがガチガチなのが自分でもわかってきて。
明るいうちからお風呂をいれて、窓をあけたり、足湯にしたりしながら、とてもゆったりと湯舟を楽しみました。
やらなきゃならない気持ちと、普段動けないことへの罪悪感から、とにかく仕事をしようと、ドリンク剤をのんだり、漢方を飲んでみたり。
たまーーーに、ストンとダルさが抜ける日があったりして、毎日こんな感覚やったら、めっちゃなんでもできるやん。
そう思っていました。
その状態が治ってパリパリ動けるところしか見てなかったのです。
『ありのままを認める』とは、ここが具合悪いと認めて、まずどうにかしようとすることではないな、と。
こんなにもこんなにもこの状態にいて、やっと気がついたのです。
『治ったら』
の先の自分ばかりに意識を置いて、今の私を放っておいたのだなぁと。
動けない私を、そうだよね、今動けないんだよね。
昨日も一昨日も動けなかったけど、今日も朝は動けないねぇって。
今の体の声を聞いてあげること。
今の状況を受け入れること。
それをしないまま、治ったところの先ばかりをみていたなぁ。
色々やって、どうにもならないなぁ、と感じることには、全然希望が捨てきれなくて、『いま、動けない自分をまず受け入れてあげる』ということの意味がわからなかった。
その自分をゆるしてあげられること。
そう思った途端に、体と心の間に隙ができて、自分の体をさすりながら、ごめんねぇと、何度も何度も声をかけました。
体と心が一緒になってぐるぐるになっていたものが、離れて向き合った感覚でした。
体に不調がでると、心にも色々な感情がでてしまいます。
心に不調がでると、体にも色々な不調がでてしまいます。
そのあたりのお互いの細かな感覚を知れる、そんなきっかけとなった1日でした。
体の不調があると、うまくコントロールできていない自分を責めてしまうことも多々あると思います。
でも、体はわたしの一番の相棒だな、と今日は思いました。
色んなことを、私たちに知らせてくれています。
ありがとう✨
ありがとう✨
ありがとう✨
先日より、息子の背中にアロマタッチを試しています。
お風呂あがりのはずの背中が、いかにこわばっていたのかを、手で感じることができました。
そして、先日、アロマすごい匂いやなぁ…と言っていた娘に背中をアロマタッチ、脚のマッサージをして、両腕、それから頭。
頭がね、堅くてね。
ゆっくりゆっくり、ほぐしながら、ずっと触れていると、顔がほっこりとしてきて、マッサージされながら寝たいよう、と言っていたご希望通り、体が緩んでいくのがわかりました。
寒かったしね、色々あるだろうしね、勉強もしないとと思ってしまうしね。
そのこわばりが、緩んでいくのが手でわかりました。
このこわばりが、心の不調を招くかもしれません。
体と心。
体はわたしへのメッセージ。
治った先を見るより前に、治っていない今の自分を受け入れてあげること。
ごめんなさい
許してください。
愛しています。
ありがとう✨
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