久しぶりの更新になりました
自身にとって理屈や文字で理解していた「つもり」のことが、ノートから文字が消えて、頭に感覚として形を変えてひとつづつ順を追って現れたような時間で
文字にしたり声にせずに、その感覚にずっとフォーカスしていたいような感覚になってしまっていました
長く雨が続いて畑の作業もとまってしまい、時間がとれなくて見れていなかったネットフリックスを見始めて、なんだかゆっくりそのあまりにも綺麗な4K世界に入り込んでしまったような感覚があったんです
日常とは違うところにいるような、浮ついた感覚
なのに頭には何もなくて
ストーリーは他人事で
ものすごく空間に浮いているような、ポカンとした時間で
雨の音も手伝って静かでした
さっき決めた事が正しかったかとか、損はしていないかとか、誰かがこう思っていたような気がしたなとか、次の予定とか、どうしたらいいかとか、どうやりたいのかなとか、何を考えたらいいのかなとか、何をそんなに考えていたのかわからないくらいに私の頭の中にはいつも言葉や文字や顔や色んなパターンがグルグルしていたように思います
そのグルグルが、スプーンで回した飲み物のグルグルがゆったりとゆっくりと回転を落として止まっていくようにすうぅーっととまりはじめたようなね
そんな時間がはじまりました
これまでもその「頭が静かになったな」という体感があったタイミングも何回かあったのですが、今回のそれは桁違いのものでした
その時に頭に浮かんだ言葉
高い意識に目覚めればこの世界に生まれた本当の意味を生きる事にエネルギーを注ぐことができます
「サトルエネルギーとは」に書かれている文章です
まだまだ、どれほどこの頭の中のグルグルにエネルギーを消費してたんだろう
一気に余力が出た感覚でした
余白かな
セーブモードで待機してるぐらいの省エネです
すると少しずつ肌というか身体の感覚が増してきて
ファブルが裸で寝る感覚が移ってきそうなほどで
どんどんと今まで「そうやんなー」って思ってたことが、それでしかないような「感覚」でわかるという感じ
なんとなく昔から色んな氣には敏感なんだというような感覚はあったのですが(例えば石売り場で石酔いするとか、嫌な感じを感じるとか)魂の勉強をはじめた時に、意識はスピリチュアルでも何でもなくて、超現実で生きていく上で誰もが基本的に知るべき感覚だという想いがどんどん強くなっていって、それに上乗せするように自身の至らなさに謙虚にならざるを得なくて、とりあえずそんな感覚とか浮ついたことはいってられなくなってたんです
ですが、その感覚が正しいとわざわざ見せられるような事がこのタイミングで起きました
自身の感覚の答えあわせと、関わる人の意識の気付きへのきっかけとなるタイミングなど
それを頭で考えずに受け取るような感覚を
新たな感覚を、確かめながら感じる様な出来事でした
幼いころから当たり前にあった農と食の環境が、あまりに当たり前すぎている意識はあったのですが、感覚が変わってからは、美しいなと思える豊かさが増してきているように思えていて
この幼い穂の写真は、穂ばらみ期(これもとっても素敵な名前)に見たお米
まだまだ外の空気に触れずに茎の中にいる幼い穂は透き通っていて、とっても神秘的な美しさで
何よりも不思議な、人には作れないこの身体を作る材料となるのは、この食べ物なんだというリンクが頭に浮かんで
少し、農業という仕事の意義に自分の「感覚で」触れられた感じがありました
そしてその頃に行った美容院での感覚
なんだかどこかファッションでバリバリやってる人に農業で引け目というか、おしゃれじゃないっていうか、メイクなんて汗でめちゃくちゃなるし、髪型もね、ネイルとかね
長靴とかね、おしゃれだと耐久性がほんとになかったりしてね
しょうもないけど、私たちの年頃の頃は田舎ってしっかりバカにされたし、明らかに生活環境の違いは大きくあった
もともとそういう世界に焦がれもあったし、そういうのがまだしつこくモロモロ小さくあったみたいで、山田孝之さんが原点回帰のメンバーを募集してた時も、なんでその煌びやかな世界をセーブして農業枠に入ってくるのか気になっていて、それこそ私にとってはエンターテイメントや芸術や音楽のほうが、想いが形やステージや映像になって人の心を動かしていたし、いくらその日に綺麗に着替えても、日々は体つきや手先に宿っていて、隠せるものではないしね
でもそれが、無くなってることに気が付いた
「野菜を食べてると、自然に季節が巡るよね」
「それってホントに大事なことだし、素敵なことだよね」
そんな話をして、スタイリストさんの更にとてつもない規模の大きなこの秋のスタートの想いを聞かせてもらって、大いに刺激を受けて、彼女が今の私にデザインしてくれた髪型に、私は彼女から見る自身を見てうれしくなっていました
なんだかとりとめがないような、入れ物に入りきらずに溢れているような文章になってしまったけれど笑
新しい感覚は何気ないやりとりでも自身の文章が面倒くさいような、イチイチ感を感じてしまったりしていて
なかなか馴染めないでいて
「書く」ということの紙も、ペンも、机も、部屋も、何もかも変わって使い勝手がわからないような感覚です
とりあえずは、まとまらないにせよ
このブログを書ききることがひとつ区切りでした
またこの感覚でみる、神秘的な食べ物の日常も更新していかないとね
あ
もうひとつ
感覚のスイッチが切り替わった瞬間のお話があったのですが、その事を今のタイミングで思い出すというのは、もうすでに長文だし
次のブログをそこにクローズアップして書こうかなと思います
この9月の新月には新月だと認識させられる現象が本当にたくさんありました
そして、今年のサトル米が収穫を迎え、新月に引き取りになりました
今は呼吸を整えているところ
もうすぐ販売開始です
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