知行合一 その2

「頭で考えるからわからない」

「頭で理解しようとするからわからない」

「ただ そうだと受け入れる事」

「そのまま受け取ること」

「伝えたことが、そのまま伝わらない」


そんな言葉を

何度か伝えられてはきていたけれど


頭を使わないで理解するという「文字」すら

解読できないというか

意味がわからないというか


だって


そう思って

また

グルグルグルグル

考えを巡らせる


頭を使わないということはさ

そう始まって

私のフィルターを通した世界は

私辞典に書かれた言葉に書き換えられていく

それは個性とはまた違った世界


私の世界にはない

価値観や考え方や意識を

私ルールに置き換えて理解しようとするから

相当ややこしくコジれた思考にからまって

わかったような

わからないような

もう最初の形をぐにゃんとゆがめてしまったようで

せっかく伝えられていることも

勝手に書き換えてしまう


自分が正しいと思っていた事が

ことごとく自分勝手で責任逃れで

そんな自己嫌悪の感情さえも処理できないまま

新しい世界を

またその世界の形に添わせていってしまう


それで上手く生きてこれなかったんでしょって

今までもズレてて

これからも理解できなくて

軸が取れずに

それでもここからはズレないように

焦る感情と

吐きそうなほど嫌になる自分の至らなさ


そんな重い時期も長くありあました



それが

この間の静けさの時間に

スッと

身体に入ってくる「理解」があって


その瞬間に

ものすごく「感情の怖さ」と

身体を走る「怖さの感覚」がズワーーーーーっと身体を通っていって

身震いしました


新しい感覚と一緒に感じた「怖さ」


それは

っとタイムスリップするような感覚


小さな頃に

親だったか、姉妹だったか、先生だったか、周りの大人だったか、友達だったか

その全てだったか

自分の感覚や受け取り方とは違う他人からの

人からの非難やからかい、怒り、叱責

その怖さから

自分の感覚で物事を受け取ることが「危険」で

外の誰かの価値観や言葉に


「あわせないと」


そう感じた時の「怖さ」でした


自分のスイッチをあわてて探して

これはダメらしい

これは怒られるらしい

これはからかわれる

そうやって消した

自分の受け取り方


その焦りと怖さを

鮮明に感じた怖さでした



きっと私は

今回の「理解」を受け入れた時に

その「見たまんま、感じたまんまではなく他人から攻撃をうけないような形に変換する機能」のスイッチを逆に切ったんだなと

そう感じました


ありのままで

そのままでいいことは

幼い私にはあまりにも「恐怖」で「危険」だった


そしてその変換機能を使って上手くうまく生きれたようで

どこか問題がでてきてたけれども

何がどこがおかしいかはもうわからない

そんな状態でこの歳まできてしまって


沁みついた思考の癖は私そのもののようになっていた



幼い頃にスイッチを切った私と

大人になってそのスイッチを切った私




あんなに小さなころから私はこの感覚を消したのか




今からそこから生き直すこともできないし

それで生きられないからこそスイッチを切った


随分と時間がかかってしまiったけれど

このまま気付かずにいた可能性も大いにありすぎるくらいある


誰かの言う通りに

誰かと同じように

「みんな」と同じように

そうやって外に渡して散らばってしまっていた「自分」を

もがきながらも

ひとつひとつ集めてきた


おかえり

わたし






サトルうさこ農園

愛そのもののエネルギーであるサトルエネルギーで高波動に整えたサトルうさこ農園で、宇宙と共同創造しています

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