信用させようとせず、相手を理解しようとすること
理解してもらうことより、理解すること
何年か前にこの言葉を聞いたとき、私はとても大事なことのような気がして、すぐにノートに書きとめていました
この数日で、相手に寄り添うということは「自分」がなくならないと難しいのだなという感覚がありました
自分の好みや、した方がいいと思うこと、やらないほうがいいと思うことなど「自分の基準」があると、どうしても相手を理解する前に、自分の考えがでてしまう
なぜ相手がその言葉を発しているのか、なぜ相手がそうしようとしているのか、なぜそんなことを言うのか
そこに入る前に、それよりも「いい」方法が思いついてしまったり、それよりもやったほうが「いい」ことが見えたり、それはあまり「よくない」ことのような気がしたり
問題は「何」をしたほうが「いい」のかではなくて「なぜそう思ったのか」
相手の感情なんて「その時」の持ち物(かばん)のようなもの。怒っていても泣いていても、それより「なぜそう思っているのか」
人への怒りが「悪い」とか「いい」とかそんなことではないように思います
そして先日の大地にエネルギーを送る、感謝を感じるというおはなし
「うさこさん、地球相手に毎日どんなところへ行くにも、車に乗っていてもそれやってっていってるで」というおはなし
すごいエネルギーだという感覚もあって、しっかりと感じながら「ここに感謝を」と思えばできるのですが、毎日マザーアースを感じること。「車に乗っててもやで」って言われたことが私のセンサーにひっかかるようになっているのか、車で少し走ると「あ、感じてなかった」と思い出すのです
買い物リストが頭にいっぱいだったり、明日の予定を確認していたり、夕飯のもうヒト品を思いめぐらせていたり
いかに「今」に意識がないかを、ここ数日感じることができました
自分の今の一歩一歩にまるで意識がないのです。これでは、今を見過ごしてしまっていたことも多かったのではないかと思います
まだ、「思う」だけだけれど、これから地球相手に「ここ」にいる感覚で生活をしてみようと思います。何か変化があったら、またシェアさせていただきますね。
先日より、かなりのモノを捨てたこともあってか、新しい情報や今まで気にならなかった本がいろいろセンサーにひっかかってきています
湯船につかって、布団にはいって、ありがたいと思う時間がとても深くさらに心地よくなりました
今日も天地のお恵みとみなさまにも感謝を ありがとうございます
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