あなたの「大切なもの」あるいは「軸となりうるもの」はなんでしょう
家族であったり、恋人であったり、仕事であったり
これ、というものを習得し自分のモノとなるまで追求してきたもの
その世界での自分なりの表現方法を確立できるようにまでいれこんだモノ
あなたの大切な大切な人
そのものと自分が同じ軸で存在するようにも思えるもの
もしそのようなモノを浮かべることができたならば、それを手放してみて欲しいと思います
手放すという感覚すらわからないものほど
自分からそのモノを外して外に置いてみてください
そんなことを思っていたらタイムリーにブログがあがってきました
「自分は〇〇のために存在している。自分の存在意義とは、〇〇のため。
というものを大切に握りしめている間はその〇〇を通して自分を表現しようとしています。
それは、どれだけ自分独自の世界で磨き上げようとも〇〇のバリエーションの一つにすぎません。
それを手放したとき、なにが残るのか?というと他ならない「自分」です」
「知識、経験、人脈、学んできたこと、理論、実績、一切使わずに”裸の自分”で人前に立てますか」
(堀内 恭隆さんブログより)
パートナーからの完全な独立を肌で感じられるほどにすべてに感じてみること
子供と完全に独立した生活を感じきること
完全に今の仕事としている世界、業界から離れた自分を感じきること
そのことによって「いいわけ」として利用している自分にも気付くことがあります
私は「子どものため」という言葉を上手に使っていろんなことから、できない理由を掘り出してきては「こどものせい」にしてきたことに気付かされた時がありました
怖さや不安で自分がやりたくないこと、面倒だからできないと決めておきたかったこと
気付きはそれぞれにおこりますので、どこからアプローチがくるのかはよく観察することが大切ではありますが、「これ」ということやものや人ほど、うまく自分で扱えるようになっています
あたかも真実味のあるようにその理由に自分自身をも納得させることができるのです
そこで「やらない」「変化をおこさない」ことが成長ではないこと
それは、自分に「無理」をさせることではなくて、自分の知らない、実はそこにいる怖さや不安に隠されただけの「真の自分」に会えるチャンスなのです
「すごい自分」でも「華麗な自分」でもない、「そのもの」です
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