先日、自身のこれまでの、このブログで書いてきたことをまとめたストーリーのようなお話をさせていただくという機会をいただきました
なぜ農園をはじめたのか
何を目的に、どこを見て進んでいたのか
これまで何度も経験してきた、やるかやらないか
今らしい、やっぱり「どちらでもいい」という本当に無理のない選択だったけれど。今この時期のことは、道が塞がるともうそっちの道は無くなって行けなくなると思う、そう感じていたので、二度目(それでも二度目)の流れですぐにさせて頂きたいとメッセージを送りました
これまでの写真に助けてもらおうと、大切なポイントになった時期の写真を選び出し、おおまかな話の流れをつくり、そこで一旦作業をとめました
このまま話すかな
人前で時間を頂いて話すことなんてしばらくなかったので、時間の配分など一度話してみたほうがいいような気がしていましたが、自分の熱量がその試しに話した空間に落ちてしまうような気がして「言葉」として自分から出さない方がいいような気がしていました
何を話すのか。何を話したいのかな。何を聞きたいのかな
それでも支離滅裂になってもいけないので、その写真を見ながらノートに言葉をいくつかあてていく
一本の道を
クレヨンを紙から離さずに押し書いていくような
そんな作業になって
最後の写真にたどり着いたときに
「だから書きなさいっていったでしょ。」そんな言葉が思い出されました
「書いて気付いたんでしょ。」
ブログを書いてきて、書きながら整理されて、自分でも見えてなかったことが浮き出てくる
その大切なことを念を押されたような瞬間でした
今回は何かが見えたというよりは、ちょっとした気付きを色んなノートのはじっこに書いていて、コマ切れになった気付きで、わかったような「気がする」というなんとも中途半端な時間をいつまでも過ごしていたという感じ
そして、大きく袖を広げて干していた着物を、模様を楽しみながら順を追って折り畳み、都度見える模様を繰り返し楽しみ、そのもののカタチの美しさを愛で、丁寧に綺麗に折り畳み、綺麗なたとう紙に置き、紙をかけ、ひもを結わえ、大事にしまう
本当にその時間に似たような感覚で
言葉を当て終わった時に、ああ、でも、やっぱりその時間で何かが終わってしまったなという感覚がありました
当日は思っていたよりたくさんの方にご参加いただいて、幾度か呼吸が浅くなりながらも、きっちりと自分が思っていた場所へ到着し、お話を終えることができました
少し終わった瞬間に私と聞き手に温度差があるような感覚になって、もう私はここに熱いものがなかったからなのか、ちょっと出遅れてしまうような感覚で感想を聞かせていただいていました。みなさんがどこに何を感じられたのか、一生懸命に聞こうとするのだけれど、私はその時にはとてもポワンとみなさんの周りを包むドームにしか触れることができないなという感じ
そして最後の言葉を促していただいて、それがもう気抜けしてしまってたものだから、ええとと思ってみなさんのお顔を見た時に
「大事な時には、必ず、必ず、目撃者、だれか見ていてくれる人がいますからね。」
数年前にこの言葉を頂いて、折に触れ、その時々に傍に居てくれた方々にこみあげるようなありがとう、という想いを感じたタイミングが何度かあったのですが
その言葉がポンと、本当にポンと頭に入ってきて
みなさんのこちらを見る目に、私はもう、ありがとうがこみあげてきて
さっきまで、サラっとしてたのに、急にホロリと感情が押しあがってきて
この学びをはじめてから、自身の道しるべとしてきた、この胸を突くようなこみあげる想いを感じながら会を終えることになりました
ありがとう
それでもまた、キチンと頂いた言葉がなんだったのか、想いがなんだったのか、掬いに行こうとするのですが、あまりうまく感じられなくて
もしかして私、物凄くかわいそうな子って思われたのかしら、なんてことも思ったりして笑、その考えの浅さに辟易したりして
そう今書きながら、そりゃあ話手と聞き手には別の向きの世界があるだろうよと思ったり
異なった各々の世界が交わった時間に、熱量を落とせたことで、こちら側の言語ではなく、淡々とした物語として、各々の世界に変換しやすい共通語として、そっとみなさんの世界の表層に手を添えられたのかなと、おこがましくも思ったりしています
そして想いが掬えないのは、私が出した話が振るわせる心の深度は、私が出したほど深く、そこにある想いの粒の大きさや粗さは個々によって違うだろうし、触れた表層から、あの時間では出ない言葉もあるだろうななんて思っています
話し終わってからそのディープな内容にも関わらず「癒し」という言葉を頂けたのはうれしかったな
本当に2022年は私には実生活においても意識においても、繰り返し繰り返し掃除や片付けをさせられる年になっています
きれいに片付けた想い
残るのはやっぱりシンとした空間
洗濯機のように渦をまいていた私の感情や意識も今や静まり返って鳥のさえずりでお天気がわかるような感覚です
その渦を回していたほどのエネルギーを本来やりたかったように、生きたいことに、在りたいと思うことに使っていくのです
ありがたいことに、今の私は会っただけで私の細胞の殻が解けて変わってしまいそうな方や、行くだけで細胞が音をたてて生まれ変わりそうな場所や、そんな暮らしや、食べただけで細胞が感覚を新たにさせるようなお料理の感覚を体験させてもらっています
身体がそれを知っています
私もそんな人や場所になりたいと思います
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