細胞の中の悲しみ

今日は娘の高校の学園祭でした

昨日(校内祭)のことをあまりに楽しく話続けてくれるので、今時の学園祭を体験しにいってみようと思い立ち、車でびゅんと向かいました


書道部のパフォーマンスやドーナツや焼きそば、チジミとかタピオカドリンクとかいろんな屋台、それぞれの楽しそうなクラスごとの衣装があって、ほんとにみんな楽しそうでした

お揃いのね、Tシャツ作ってたりね、それもデザインよくできててね



注目のイケメン君情報も入手してふらりふらり♪

サクっと周って大体様子がわかったので

もと軽音部だったusako

ライブハウスが気になって、オオトリのバンドの時間に合わせて向かいました

もうね、高校生なの?って思うくらいに上手でね、でもね、そんなこと思ったのは一瞬で



ガンガンの音量と、激しいリフと、声にのってくるものがね

私には

やるせなさと、せつなさと、悲しさと、混乱と、不安、なんかを感じてしまってね

なぜか、なぜか、涙がぽろぽろでてきてしまった


その子たちのやるせなさが悲しかったのか、何を音楽にのせてぶつけてるのか

発散しきれないその身体にたまったエネルギーを感じたのか

なんだこれ

って思っていたら


それは

それは、そこにいた自分にもどった感覚


ああやって、やりきれない思いや溜めこんだものを発散してたんだなって


わからなかった

どうしていいのか

どうにもできなかった

寂しかったし

怖かったし

ずっと満たされない何かが胸にあって

やりたいことやれなくて

でもやりたいことも満足にできなくて

おかしいと思っても何がおかしいのか

なにが本当に正しいのか確信ももてなくて

自分のやりたいようにする自信もやり方もわからなくて

言い返す言葉もわからなくて

抱えているしかなかった

身体の不調が自分の怠けじゃない確信ももてなくて

そんなに完璧に暮らせているわけでもなかったし

でも誰も嫌いじゃなかったからよけいに矛先もなくて

何が悲しいのかもわからなくて

自分の中に何もつかめるものがなくて

なにもかもちゃんとはできなくて

愛されたくて寂しかった



みんなで飛んで、手をあげて、歌って

ああやって

どうにかこうにか発散してた


それがね、もう頭の中にはないつもりでいたのだけれど

タイムスリップしたみたいに小さな学生のライブハウスに入り込んだ瞬間に身体が思いだしたんだなって


残ってたんだな、まだ

自分にも気付けない身体の奥に



そうだったなって

思いっきりジャンプしまくって、叫んで笑ってるあの子たちを見て

感じました


今日で引退らしい若い若いバンドマンたち

ありがとうね

身体に残ってた悲しみが溶けました



そしてね、アンコールになる頃、最高潮に盛り上がっている様子を見て

私、幸せだったなって

そう思いました

あの頃、毎日のように遊んで私に居場所をくれたみんなそして音楽

本当にあたたかな人たちばっかりでね

今更ながら感謝があふれてきてね、ありがとう、ありがとう


素敵じゃないの私ってね

辛かったねってね


重かったあの頃がまた一段と軽くなりました


「過去は変えられない」自分が体験してきたことだから

こないだもそんな話をしたな


違う

「自分がかわれば、過去さえも変わる」

これは私がほんとに何度も体験してきたこと


にぎっているのは自分

苦しい思いを放せないのは自分

自分を苦しめるのは自分しかいない



自分ではなかなか怖くて放せないのはよくわかる

方法すらわからない


そんな時は放す「覚悟」をすること

「もうやめよう」って

必ずどうやってやるのかはメッセージが届くから


もしくは

知っているのにやらないか

やれない、ではなくね



落ち着いたらね、感謝がまだまだあふれてきます

ありがとう

ありがとう

みんな、ほんとにありがとうね



サトルうさこ農園

愛そのもののエネルギーであるサトルエネルギーで高波動に整えたサトルうさこ農園で、宇宙と共同創造しています

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