その①リアルな自分へもどる
脳のデフラグを書いていたGW少し前あたりから
右が左なんじゃないかと思うくらいに
自分の思考が自分らしさに向かうということから反対を向いているんじゃないかという気付きがうっすらと見えてきて
ひとつひとつ
泣いて旦那さんに伝えてみたり
ひとつひとつ
自分への自立への甘さだったり
ひとつひとつ
まだあった昔の悲しさだったり
向き合うたびに、自分の腹の奥にその意識は跳ね返ってきました
毎日毎日、目をぱちぱちさせて、頭が停止しそうになって、泣いて、イライラして
その気付きをここに書くことも追いつかなかったのだけれど
自分への整理も含めて
書いていこうと思います
私も人の気付きましたブログを読んで
で、何があったんやろうなって思ったことはたくさんあったのだけれど
そこは本人にとっては「オエっ」とはきそうなほどの自分
出せないのは、書けないのはまだ何か残っていたからかな
いつも書けなかった
「わかっている人」でありたかったのかも(誰に?)
そのわかってなかった部分の自分を受け入れられずに(隠すように)
「等身大」の自分を書くのだと意識をしても
その「等身大」の基準すら「理想の私の等身大」がセットされていて
そのギャップにも気付けないで
きれいに整った、装った自分の世界
常に常に今の自分ではなく
「できたころの自分」「できてるとしての自分」「理想の自分」
そんな空想の中の
なにもリアルでない自分に逃避設定して
実際の自分を見れるはずがなかったのに
そのギャップの欠落感を持ち続けている意識が何をおこすのか
できてなかったんです私、といいながら話の底は浅く、気付いたところ強調
あーおもしろくもない話!
見栄っ張りか!
そんな表の自分しかなくて、どうして人とありのままを語れるんだろう
でも
そこに来れたのなら
次は「なんでそう設定してるのか」
「なんでか」
「なんでそう思ってるのか」
表層の感情に埋もれていると、そこにもなかなかたどり着けなかった
誰に何を伝えようとか
これを読んだらどう感じるだろうとか
今まで読み手のことを勝手に想像して書いていたことが、いま書きながら見えてきました
それぞれなんだよ
さらけだすことが怖くてね
その根底にもいろんなことがある
まずは
自分のリアルな身体と心から書くということが
やっとわかりはじめたというところから
ちゃんと書いていくことで体験をしていこうと思います
もうね、なんでかね、ここラストチャンスだと思う感覚があってね
必死でもう逃げないで向き合いたい、わかりたい、理解したいという
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