今まで生きてきた中で、何の後悔もなく、精一杯やれる限りをやってきたこと
それは、子育て
うちは息子に先天性の病気があったので、小さい頃は、今日何か後悔があったら私は一生後悔するかもしれないと本気で思って生活していました
そして、娘がプリンの空き瓶に、私へと言って挿してくれるシロツメクサやたんぽぽが、いつも何も変わらないあどけない娘が、そんな精一杯の暮らしと日常をなんとか繋げてくれていました
小学校に通いだして、病状もすっかり落ち着いてきて、私は忘れ物をしたり、まだまだ低学年の子供たちに「ちゃんとできるように」声を荒げていた時期もありました
そして私が自分と向き合いだしてから、子供たちが自分で自分のことが決められるように
私が制御せず、自分で決められる責任も感じられるようにと
私に伝えられることは、心をこめて伝えてきて、一緒にたくさん話もしてきました
今義務教育を終えて、高校生活を送る二人
「もし高校に行けなくなったら」
家族でそんな話を途中からは割とまじめに話したとき、私は最初は不安がありましたが、話すうち、この子達ならどこへ進んでも大丈夫だと本気で思えるようになりました
〇〇できるから、〇〇できないから、〇〇だから、〇〇じゃないから
無条件の愛
条件付けのない愛
何をしても、どんなことを言っても、どんなことができなくても、どこへ行っても
私は子供たちを無条件で愛してる
そう
私は無条件の愛を知っていたんだって
無条件の愛でこどもを愛してるよね
じゃあ
その無条件の愛を「自分」に向けてみてくださいと
子どもたちに向けている無条件の愛を 自分へと
最初はよくわからなくて
自分を三人目のこどもの立ち位置にして、子供たちと同じような目線にして
でも磁石をあわせたら反発するときのように、どうも近づけなくてふわんふわんとしていたのだけれど
ただ、ただただ、ただただその愛を自分に向けること
そのうちに胸が反応して、なんだか泣けてきたんです
精一杯生きてきて、必死に必死に
でも、あの時はなんも、なんも、辛くなんてなかった
先生になんて言われたって、自分のこどもがいなくなるなんて考えもできなかったし
病院の先生が大丈夫って言えないなら、私が先生に大丈夫って言ってやろうと思った
誰に何言われようと思われようと、そんなしょうもないことで一生後悔できないし
必要なら酸素ボンベもベビーカーにのせていくらでも運べたし
食べさせたいと思うものは、一生懸命料理もしたし
お正月も、お雛様も、端午の節句も、プールも、キャンプも、川遊びも、釣りも、どんぐり拾いも、クリスマスも、庭で食べるおにぎりも
ただ、ちゃんと毎日幸せだったから
それがね、その想いが
全部自分にかえってきた瞬間でした
子どもたちがちゃんと私に教えてくれていた愛が私の中にちゃんとあったこと
親に言われた言葉も
やってこなかったことも
できなかったことも
そんなことは何にも関係なくて
一生懸命、箱にいれて大事にしてきたはずの色々な傷ついた出来事も
きつく縛った「今までいわれた言葉」の袋も
愛することには、なんにも必要がなかった
あの家族で必死に生きた時間が
今の瞬間の私を全部愛してくれました
そう、知ってたんだよわたし
ちゃんとこの胸にあった
あったかい
ありがとう、ありがとう
Photo by SAYURI
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