想念観察

「想念」とは、心の中に浮かぶ考え、おもい、とあります

自分の内側を観察すること


起ったこと、結果、外側ではなく

自分の「内側」


起ったことが愛の意識で見たときに「正しい」のか「間違っている」のかではないこと

(そもそもその時点で愛の意識でもないし)


感情が揺れた時、判断が揺れた時、選択に自信がもてない時

どっちが良いのか

どっちが正しいのか

その「どっち?」で頭がぐるぐると堂々巡りをはじめ、不安や恐れがでてきます


たくさんたくさん考えてよし!正しいはこっちだ!って答えを導きだして

いろんな先を想像してこれが最善の策だと結論をだして安心しても

「正しい」を持つと、それを証明するために「正しくない」が存在します

「良い」を持つと、それを証明するために「悪い」が存在します


新たにお知り合いになった人

ずっとおつきあいのある人

小さい頃から知ってる人

よく知らないけどブログをよんでみた人

色々な人たちと日々関わる中で、その人の「やる事」「いう事」に対して

そこでおこる事に対して

それは愛的にいって違うんじゃないの!と

わたしの思考が良くわからない方向に向いていることに気が付きました


そんな想いを持ってたら、こんな現実が返ってくるよ

だからそれは「間違ってると思う!」とか「違う選択をしちゃったんじゃないの!」とか

「そうなったほうが良かったよね」とか「これ正しいよね」とか


愛をみている気になって、おもいっきり二極、ジャッジの世界


善と悪の分離思考に気が付いて手放して

二極化を越えていく

そこにいくまでにも「想念観察」することで

おこったことに対してではなく「なんでそれがおこったか」

「どんな想いがあったのか」をべらべらべらべらめくってめくってめくって

感情に埋もれた本当の気持ちにたどり着いていって

自分も知らなかった気持ちに気が付いていくんだけれど


いつのまにかおこる事に対してあまり感情が揺れなくなってきて

深く深く、細かに微細に見れなくなって

さらりと善悪の判断をいつのまにかしていたことに気が付いた


自分がやること、決めたこと

他人がやること、きめたこと

判断、決断、覚悟したことでおこること

それにぶち当たった時

善悪の判断ではないこと

善悪の判断がでたならば、その判断の勝手な基準となるものをみて手放す

不安や恐れがでたなら、その意味のない原因を手放すこと

そうやって「そのまんま」を受け入れられる自分へと向かっていく


その時に信じるのが「自分」

そして私をその「愛しかない波動」からブレずに導いてくれるのが

サトルエネルギーです


文中の写真は現在の「サトル米」の様子です

光る朝露に囲まれて、見とれるほどの世界が写りました

収穫は9月上旬の予定です

「サトル米」は宇宙の生命エネルギーであるサトルエネルギーがパンパンに詰まった高波動のお米です。有益変換した田んぼに酵素の泉を散布しながら大切に育てています。


サトルうさこ農園

愛そのもののエネルギーであるサトルエネルギーで高波動に整えたサトルうさこ農園で、宇宙と共同創造しています

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