「why on Earth」アイスランド縦断記の上映会
エハンさんがアイスランドに向かう前に抱いた「問い」
「あなたは、本当に『地球にいる』のですか?」
エハンさんは、アイスランドへ行く準備の為の訓練で、両足の裏が歩けないほどの凍傷になります。アイスランドに入ってからも、尖った硬い溶岩で足の裏はひざまずくほどに出血してしまいます。
その痛みが、引きずるように歩く姿から伝わってきます。
映像でエハンさんの眼差しを映すことで、その眼差しの先の景色を傷みと共に見ることで、私はその土地の映像と、そこに立つ「痛み」を同時に見せられました。
エハンさんは「川」を泳いで渡るのですが、川からあがった直後、叫びます。あまりの冷たさに、その感覚そのままに叫びます。
そして、至福の想いで湧き出る温泉に身の全てを、心もつけこみ、暖かいスープを全身で味わいます。
そして、次第に自ら滝に入り、川に入り、その「感覚」を感じていこうとします。
傷み、冷たさ、心地よさ 肌で感じるその「感覚」
私はこの上映会で、この「感覚」が身体の奥から「戻ってきた」ように感じました
極限にまで追い込まれた感覚がそのまんま映し出された映像を見て、身体の奥にしまいこまれた「機能」が震わされたような感覚です。
数か月前、私は「人の話が聞けていない」という事を、改めて「自覚」することができました。人として根本的なこと。「聞かない」ようにして自分なりになんとか「生きて」きた。
感覚の半分くらいを「感じないように」していたこと、その「癖」
そうやって「どうしようもできないこと」を適当にやりすごして「生きて」るつもりをやってきていた。
同じように私の生き物としての「感覚」も厚いラップで覆われたようになっていたことに気付きました。
大きな空の下で、大地に触れて。そんな言葉を農園で幾度となく使ってきていたのに、私の「感じる機能」はこの時「やっと戻ってきた」んです。
子どもの頃、この雲の先が思う以上に早い風に吹かれて、どんどんと形を変えていくのを見るのが大好きでした。
大好きな愛犬の横に座って、何時間も見ていられた。
そこから「働く」ようになって、建物の中にいるようになって、汗もかかなくなって、それでもキャンプにも釣りにも行って、外でも仕事をするようになって
全然気が付かなかった
こんなにも「鈍感」になっていたこと。「感じる」ことを忘れてしまってた。
そこには、全然気が付かなかった
グラウディングとは「地に足つけてしっかりと現実」を生きることを言います。
検索すると、一番にそう書かれていました。
上の世界にばかりフワフワと意識を向けないこと。現実世界でしっかりと「行動」していくこと。私にはそういう想いが割と強くあって、いつか鎖を地球の奥の奥の真ん中まで降ろしていって、グルグルとくくりつけるって言ってた人もいたけれど、何か異質なところに「くくりつける」という感覚がしっくりはきておらず。うわずって「現実をおろそかにしない」という事だと結構あやふやな解決をしていたのかもしれません。
もう少し調べてみると「エネルギー的に自分を大地(地球)に接続する方法」と書いてありました(おいおい、今さらっ)
「グラウディング」と「地に足をつける」の違いとは(それそれ!今更今更!!)
「グラウディングができていない」とは「地に足がついていない」などの、見た目や雰囲気を指すのではなく、具体的なエネルギーレベルでの大地との繋がりが不十分であること(Naoya Inoueさんの記事より)
グラウディングとは、具体的なエネルギー状態を指す。
グラウディングが出来ているとどんな効果があるのか
・自信を養う効果(エネルギー的な安定感)・感情のアースとしての効果
・集中力を保つ効果・理想を現実化する効果
・自分の意思で決断できる・現実の充実感や達成感を感じる
・物事を継続して成し遂げる 等々
私が感覚が戻ってきた時、その感覚はとても「野性的なもの」だと感じました。
「生きていくセンサー」のようなもの
とても感度が良くなって、なんでも今更ながらに触りたくなる
身体に溜った電磁波を地球に流すとか、そういうもののとらえていた「アーシング」
第一チャクラから大地に根っこを伸ばす瞑想よりも、私は大地そのもののエネルギーを感じる「感覚」を取り戻し、その言葉通り、大地のエネルギーと繋がることができるようになりました。
エハンさんの問い
「あなたは、本当に『地球にいる』のですか?」の意味がやっとわかった。
地球のエネルギーを感じられるようになって、私はとにかく触れたくて仕方がない。
私の身体の全ての感覚はとても「起きて」いて、「素足で歩く」ことはやっぱりそのほんの一部のことで、そのものではなかった。
目に見えるモノを見ているだけで幸せ、という感覚。
そして、エネルギーで触れてその想いをもっと感じて、そのものと同じエネルギーで調和する。
全ては、自分の内にある。また、ここ。もともと持っていたもの。
天人地
「一、二を生じ。二、三を生じ。三、万物を生ず。」これは、太極から両儀が生まれ、両儀から三才が生まれ、天人地の三才があって万物が生じる」という意味。
今の私に、素敵な言葉。
『孤独』にセンサーがひっかかり参加したこの上映会。
『孤独』については次回につづく。
そうだ。
私がハワイに飛び立ったのは、この2日後。
この「土地」を感じる感覚をハワイに行く前に「起こす」ことができた訳です。
この「感覚」を持って行けたこと。
そして、この日が「準備」になることはなんとなく感じていたのです。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
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