手放し

10月になりました、久しぶりの投稿です。

9月7日あたりから体調がすぐれず、しかしそこは始まりで、そこから昨日の台風の通過まで、身心ともに大きな大きな変化を体感していました。

とても大きな気付きの数々でしたが、まずは一番近い昨日の台風の中での手放しの気付きのお話。


台風が来るであろう朝。とても大きく感情を揺さぶるような出来事がありました。どう考えても納得もいかないし理解もできない。相手がなぜそんな事をしたのか理解ができない。こちらはとても不快な思いしか浮かばない。なんで???

知らないふりをしてしばらく放っておこうか。そう一瞬思ったのだけれど。


そう。浮かび上がって見えてくる出来事は、解決のサイン。

しかも、この問題。私がこの学びに入ったきっかけとなるほどに「自分ではどうしようもないこと」と当時思い、自分をコントロールできないまでに感情を乱されていた事のまさに繰り返し。

まだちゃんと解決できていなかったんだな。再度その問題にぶち当たっても、何も変わっていない。「手放し」できていないものが残っている。

そして、今がその「手放し」ができるタイミングであり、それを試されていること。


何がどうなってるのか理解しようとして、とにかくこの荒れて吹き上がる感情をどうにかしないとと「手放しの法則」を深い呼吸とともに最初のページから。


向き合うことを避け、感情とから目を背ける「抑圧」

泣き、叫び、感情を行動に移す「表出」

「抑圧」すると感情は潜在意識に溜めこまれます。「表出」は不和や摩擦を起こします。


「手放し」は感情と自分が一体ではないと知ること。

私が怒っているのではなく、私が怒りを「感じて」いて、怒りを「私が」握っているということに気付くこと。

どこまで自分と感情を切り離して客観的に見ることができるか。


手放しの法則は、学びのたびに「寝ずに手放しをしてください」と何度も言われたほどに大切なことだと教えられてきましたが、私は感情にあまりにも飲み込まれてしまっていて、「客観的」に捉えること、感情と距離をとることができていなかったと思います。感情に飲み込まれたまま、ただただ、ただただ唱えていました。

でも、それでもそれは私にとって充分なほど解放に向き合う時間であって、「手放しを学びたい」という切に願う「行動」でもありました。その時間がなければこの理解も体感もできなかったと思います。


じっくりと手放しを行いながら、その都度のタイミングで自分の中から出てくる言葉をひとつひとつ拾い上げます


それでも最後まで

どう考えてもおかしくない?が消えない

その相手を「おかしい」と思う基準はどこにあるのか。自分が正しいのか。

いや基準というか、だれがどう見てもそんなこと言わないし、しないことないか???

おかしくない???


そう思っている時に読み進めた改めて衝撃のページ

ある感情を正当化したり、それがどんなに有益かを自分に言い聞かせたり、そう感じ続ける自分は正しいと証明しようとしていることに気付いたら、感情がうそをついているシグナルです。「怒りを持ち続ければ、(自分だけが傷つくのではなく)相手に仕返しができる」といったように感情は、問題を防いでいるように見せかけて、実は手放すことを邪魔していることがあるのです。(セドナメソッド本文より)


相手に仕返し、そう自分だけが傷つくことが許せなかった。

ああそうか、私あれからずっと相手に謝ってほしかったのか。

相手に間違いを認めて欲しかった。

謝らせたかった。


感情はうそをつくだけです。解放したらこんな羽目になる、と感情はささやきますが、実は感情を手放さないことですでにそんな羽目に陥っているのです。


相手がその間違いを全く受け入れなかった事に対しての自分の「正しさ」があって、いつか認めて欲しいと。

いやもっと激しく、謝らせたいと

自分が間違っていると認めてほしい。

私が正しいと、その人にもわかってほしい。理解して欲しい。認められたい。

そんな思いが残っていたからこそ、また同じ「そんな羽目」がやってきた。


謝らせたかった。理解して欲しかった。


そこからね「自分で自分を認めてたら、誰かの基準とか理解って必要ないんじゃないかな」

そこにたどり着くまでに、少し時間はかかりましたが、やっとやっとたどり着きました。

相手の中にあった、私の「理解してよ!」って押し付けていた想いを自分の中に戻してくることができました。


あの頃私は相手の理解が得たくて、考えられる限りの提案をし、うちのめされていました。

相手にとってもそれは「正しいこと」

相手を変えることはできませんでした。ただただ荒れる感情が残るばかりでした。

その感情をいくら手放しても、認められたいという根本の欲求は何も解決できていなかった訳です。


相手を変えることはできません。

内側から自分を変えれば、その変化は永久に続くのです

もちろん自分の意識がきちんと「愛の意識かどうか」も大切な事です。わがままに自分勝手な想いを持って収めても上手くは進まないでしょう。


サトルエネルギーは「魂の成長」をこのように見えるようにその人その人のタイミングで起こしてくれます。

愛でない意識は必ず気付きがあるように導いてくれるのです。

愛そのものの波動です。

私はその学びが訪れるたびに深く大きい愛に触れ、その中で生かされていることに胸が震え、言いようのない感謝と謙虚さを感じることができるようになりました。


サトルエネルギーは愛そのものです。

無償の愛、分け隔てなく全てを受け入れゆるすこと、その意識です。

サトルうさこ農園

愛そのもののエネルギーであるサトルエネルギーで高波動に整えたサトルうさこ農園で、宇宙と共同創造しています

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