子どもの頃の嬉しかった思い出の1つにお正月の集まりがありました
母は兄弟が多かったので、お正月にはみんなで集まってお膳を囲んでいました
子どもたちと遊んだ記憶はほとんどなくて
大人たちのお膳の給仕をするのが私のお仕事でした
ビールが残り少なくなったらカラの瓶を引いてきて、新しいのを2本置く
膝元の灰皿がいっぱいになってきたら、新しいのと取り換えて掃除をする
終わりが近づいてきたら、お膳の残りを邪魔にならないように折りに詰めていく
酔っぱらったおじさんに「かしこいのぅ」そう言われることが
とにかくうれしかった
おばさんたちに交じってお膳の席ではなく台所で忙しく同じように働いて
それがよく覚えている楽しかった思い出
いつだったかその時に、そこのお兄ちゃんが野球盤を出してくれて
とっても大興奮したのだけれど
下っ端の私はやりたくても怒られて、やらせてもらっても上手くできなくて
結局は思ったようにもできなくて
遊んでいるより、ビールがなくなるのをじっと見てるほうが楽しかった
自分のやりたいことをやるより、人の為に動いている方が
怒られることもなくて、そのうえ褒められて
それが私のうまくやれる場所だった
だからいつも「先輩」とは仲が良かった
少し引いたところにいるのはとても上手かった
だから、そこは自分の得意とするエリアで
過ごしやすいところ
「みんなでいる時、好きなケーキを一番に選べますか?」
小さい頃はそんなことをして食べたいケーキを選んでも、楽しく食べれたことなんてなくて
結局泣いて、せっかくのケーキが台無しになってしまう
それでも子供のころはそれを欲しがって何度も泣いてたんだろうな
一番を選んでもだれかが怒っていて、そうゆうのはどうしても上手くなかった
大人になれば、そんなに不公平な場面もないし、どのケーキも美味しかった
先輩に注文をとって、お前も頼めよ、そう言われて頼むのはそのタイミング
1つほどほどにお腹を満たせるような私の「お決まり」を作っておいて
これいいっすかね「お前はまたこれかよ」ってそれさえ食べれたらそれでよかった
みんなご機嫌で、私も楽しかった
私、ずっとそんなことやってきたんだな
悪いことではないのはわかる
でも、そんなことばっかりしてきた
やりたいことも親に反対されればしないでやってきた
反対できることも知らなかった
そうやって自分の決定権を明け渡して明け渡して生きてきた
私が本当にやりたいこと
私が本当に欲しいもの
誰かの為に、人の為に、良いと思うようにしてきた「つもり」で
見えなくなってることもわからず
「良いと思える答え」しか出せないでいる
子どもの為に、家族のために
そう言ってできないこと、やりたいことも上手くごまかしてきた
子どもの為といいながら、子供を言い訳にしないこと
そう初めて言われた時も、理解ができなくて、子供が一番だという言い訳を外せないでいた
子どもに迷惑をかけてでもやることは、結局はそれをして誰かから何かを言われることが怖いからできない
本当にやらなければならないことなら、なんとかしてやることができるから
子どもはいつだって応援してくれるから
「あなたのやりたいことだけやればいい」
そう言われて、みんなは「やりたいこと」がわかるのか
私は、私のことすらわからなくなってた
大きくやりたいことをはじめても
どうしていきたいのか
どうなることが望みなのか
どうなりたいのか
どうありたいのか
「わたし自身が望んでいること」がわからない
周りのことなど考えないで自分が「本当に心から」やりたいこと
そこには「わたし」しかいない
私が創りだす私の世界
私が決めないとはじまらない
やりたくなくてもやってみないといけなかったこと
流れのまま必死でやってきて
自分の壁を壊して壊して進んできた時期
抵抗が出ていたのは
やりたいようにやりたいのではなく、やりたくないことを避けてきただけだった
やりたくないとか、やれないと勝手に思い込んでいること
本当にやりたいことなんて本当の意味ではわかってなかった
でも、もう次のステージ
創造の世界
そこには自分で決めないと始まらない世界があった
その言葉は本当か、本心か
心からの言葉なのか
そこに愛はあるか
御手は私とともにある
いくら時間がかかっても
意識をみることが世界を変える一番早い方法なのは知っている
流さないで毎瞬間を捉えて生きていく
それは大変なことではなくて
私が望んでいた丁寧に生きるということ
だれの為でもなく私を生きていく
それが自分を大切にするということ
そしてそれが全てのスタート
そこがやっとはじまり
誰も傷つかない愛の世界の言葉があふれる場所へ
私は進んでいく
サトルエネルギーのサポートとともに
*今日の画像はサトル米と豆乳で作ったTGGヨーグルト!
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