エゴを手放して手放して、良いも悪いも、正しいも間違ってるもない世界へ
愛だけしかない世界へ
全てを受け入れ赦す意識ヘ
今まで「こう」と思っていた世界を手放すというより
私はその「こう」がどれほど勝手で傲慢で狭い世界かを見せられました
サトルエネルギーが私に必要な順番とタイミングで見せてくれました
だから、今までの価値観がなくなって怖いという感覚ではなく
これで生きてきたことに愕然としたり、情けなくなったりしたことのほうが多かった
魂の成長に
誰もこうあってはいけないとも
これをやりなさいとも言わなかった
いつも選択は自分の手の中にあった
それでもこの学びの中では行動において「やらない」という選択肢がない時もある
やらないことは学びを辞めることでしかなくて
でも、ずっとそれが「終わらない」と感じてた
だから、そのことが自分を大切にしていることと反対を向いているのではないかと
辛くて、苦しくて、やらないことが正しいような想いに不安になることもあった
そこに意識が近づきすぎて
全体が見えなくなっていた
ありかたはいつも自分の選択でしかなかった
意図することは魂の成長であって
ツールは何をやってもいい、そう言われてた
なのに、やりたくないことばかりにフォーカスする意識
やりたくない事、見たくないこと、辛いことには手放すものがたくさん埋まってる
だからそれを手放せば
360度愛の意識で囲まれて
何をやっているかではなくて
どうあるか
そこに愛を置くことができるようになる
そう、怖くて行けない道はもうない世界
それが本当の自分
その自分に自分を信じてたどり着いてあげること
そして学びは「終わらない」
変化こそ、変化が常になってこそだから
そのスピードに乗れるようになること
知識だけでは執着や依存、固定観念は外れないから
それが腹に落ちるような「体験」がやってくる
とても怖いし、不安が消えない
みぞおちのあたりがキュっと上にあがって
呼吸も浅い
オデコのあたりにモヤがかかったように頭がうつろになって
ずっと寝ていたくなるようなダルさ
考えているつもりもないのに、少しゆるむと涙がでそうになる
もうそこには「わたし」しかいない
それをやるかやらないか自分で決めるしかない
自分で決めていくしかない
全ての決定権を誰にも明け渡さないと決めたから
話すと楽になったとしても何も解決はしない
仲間が友達が何人いても
この道には「わたし」しかいない
そうだ、みんな自分にしかできないことをやってるんだもの
それぞれの場所でそれぞれのお役目
自分しか歩かない道
誰にも「こうしろ」とも言われない自分で決めて歩く道
なんの判断もないはず
そこに愛しかなければ
執着や依存の意識を見てエゴを手放すことと一緒に
自分が「どうありたいか」まで勝手に手放してしまってた
そこまでのプロセスに自分を手放すことだった
そんな自分の偏った、狭い意識での判断をしないこと
そして出来ない、情けない自分を認めること
そこを認めたら、終わりだと思ってた
出来ないなら終わり
でもそうじゃなかった
「やらない」ことと「できない」ことの違い
大切なのは結果ではなくプロセスだった
愛しかない世界は本当に愛しかなくて
誰も傷つかない
なんのジャッジもない
~でなければならないもない
すべてを受け入れ赦すこと
分かっていても、怖さを手放さず見ないふりをしていたら
チカラを抜くと涙がでそうな苦しみが来ました
大きいのとモヤモヤしたのがもう1つ
私はこれをきっと乗り越える
訳もわからず感情に飲まれたまま手放しを唱えていたころとは違う
完全にわたしひとりだけの道に立って
その先を見に行く
もう今朝より随分と穏やかだし
なにより冷静に見れば何一つ私の生活は変わってない
感情があるから手放していく
問題の意識はそこに辿り着けば、それで自然と手放しされる
その根拠となる意識がどれほどの偏った言葉と行動を産んできたか
どれほど人をジャッジしてきたか
どれほど勝手な言葉を発してきたか
どれほど自分自身を苦しめてきたか
どれほど自分に相手に制限をかけてきたか
どれほど自分を他人に明け渡してきたか
わかっていたのにどうにもできなかった自分の中のお荷物を
やっと降ろせそうです
それがなくなることの方が怖くて握っていたのはわたし
握っているものがなくならない限り
問題は起こり続けるのにね
よくがんばった、わたし
*写真は昨日の秋祭り。太鼓が町中に響き、大地と人を震わせる。全ての波動が共鳴していく。最後に村の男性がみんなで歌うお唄が大好きです。
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