私は人の話を勝手に解釈していて
聞かれたことも勝手に解釈して返事をしてしまっていることが「当たり前」で
それはこういう意味で聞いてるんだよね、って即書き換えをしてしまって
質問通りの答えを返すというごくごく当たり前のシンプルなこともできてなかった
「そういう意味でいってるんじゃないんやけど」そう言ってくれる人はいない
特に大きな思い違いがなければ問題もおきないし
どちらかというと早い展開だとすら思ってた
でも、その癖がおこす小さいことが全ての全ての基準となり私の人生を創りあげていく
そういうことを
ひとつひとつ手放しを行うことで見せられてきたここ最近
そんな自分がこの生きてきたなかで「当たり前にしてきたこと」が見えた時
愕然とする
こんな意識で生きてきたのか
こんな意識で人を物事を分別してきたのか
自分のあまりの至らなさを見せられた時
その判断、言葉、その振る舞いに愕然とする
自分の発してきた想い、言葉、行動
その基準となるもののおおもとの至らなさ
手放しは本当の心の上にかぶさっているモノをのけてくれる
どうしてそう思ってるのか
怒ってるのか
寂しいのか
嬉しいのか
そんな自分のことすら、見えていない
あまりに当たり前のこと過ぎて
きっと心にも響かない
でもその「知ってる」「わかっている」と思うことにこそ
大きな変容の力がある
自分が創造していることの意味に気付けば意識を見ないなんて怖いことはできなくなる
「今日と同じ意識でいるなら明日は今日と同じ事しかおこらない」
自分のことすら見えていないこと
そこに長く長く私も気付けなかった
「出来る」「わかる」「しってる」ことが大事で
素直な気持ちを出そうにも、あまりにもできる答えを上手く創りあげる技術が磨き上げられて当たり前になっていて
創りあげられた自分が自分そのものだったから
素直な気持ちがあることすらわからない
いつも答えを探して
頭がいろんなことでいっぱいで
今が自分が見えない
自分が怒っているのか、悲しいのか
なんでそうなるのか
どうしてそう感じるのか
感情に埋もれて、そのまま身体にためこんで
何も解決もせず
明日も同じ明日を生きる
毎日少しずつ掃除をして家を綺麗にしておくこと
そんな当たり前のことがずっとやりたかった
でもずっとできなくて
山のような仕事のせいや色んなことのせいにしてきたけれど
そうじゃないこともわかった
そこに心がなかったから
そこにいないから見えてなかったんだと
見えてない
汚れも煩雑さもほこりも雑多なモノも
色んな事に気を取られて目の前がみえてない
今目の前にあるもののことも見れてない
だから、ここのところ暇さえあれば隙間隙間に掃除をするようになりました
見てられなくなった
頭がいろんなことを手放して
目の前が見えるようになってきた
嘘をつかないで、ごまかさないで言葉を出すことすら
自分を守るのに必要だった嘘だからこそ
外し方も
嘘なことすらわからなくなってる
想いと言葉と行動が一致していないこと
愕然として
そして気付く
そして
そして変容がおきる
気付きには変容の力がある
自分を信じることに必要なことは
自分ひとりになっても信じていく覚悟と「経験」が必要
わたしはいつもいつもサトルエネルギーのサポートによって
わたしから出される言葉によって気付きをさせて頂いています
わたししか歩いていない道だから
みんなそうだけど
だから私にしかわからない
わたしが出す想いからしか変えられない
サトルエネルギーの素晴らしいところは
その人その人に必要な成長のサポートがおこること
その愛の大きさ
タイミングもおこる事もそれぞれにとって完璧におこる
気付きを得る前に私には「自己否定」というものを越えられない時間がありました
愕然としたところから上がれない
至らない自分を見せられて
辛くて情けなくてやりきれない
そこから私を助けてくれたのは「手放し」です
必死で本気でやるかどうか
やるかやらないかです
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