今日は広島の仙酔島のこの海に、とっぷり首までつかってきました
結構有名らしい江戸風呂という蒸し風呂で繰り返し身体を温めてから、誰もいない貸切のこの海へ入らせていただきました
「出し切る」そして「そのまんまを見る」
高次元の世界へ進むと決めて、ひとつの区切りが今年いっぱい。腸炎で寝込んでから身体に溜めこんでいた感情が抜け、そこからサトルアロマやサトル石鹸等々、サトルエネルギー商品で波動をあげることによって、「今」おこっていることと感情が以前よりも見やすくなってきていました
そうなると、ここへきて細かな感情が動くのがよくわかる。そして、今更こんなにも感情が揺れて、人に対して怒ったり苛立ったりすることに、愕然とするわけです。それは自分の中の何かが反応している訳で、それを探って手放しする
なのに、反応した時点で相手ではなく自分なんだと思って掘り下げないで感情だけをなくそうとしていることに気が付きました
怒らないことが目的ではない
それでは根本的な解決をしない
でも、もう「今更怒る」とかげんなりくる訳です
でも、それが「ありのまま」
それをまず「認める」こと
それがやっと見れて、悔しくて情けなくて、そして、またそうやって「完璧」に向かっている自分に気が付いた
上手くできること、間違えないこと、完璧にできること、それが魂の成長の先ではないこと
でもね、そうやって愕然となって吐きそうに気持ちの悪い自分を見たら、そしてそれが認められたら、必ず何かが変わっていく
必ず
誰に認められなくてもこの農園をやっていく覚悟
愛の選択をしていく覚悟
その重さの反対側から、少しずつ心の緩みと楽しさが見えてきて
少しずつ少しずつしっかりその端を持って広げていこうとするうちに
私の「感覚」が少しずつ浮き出るように農園の仕事の中に見えてくるようになりました
その「創造」にエネルギーを向けながら、自分で一つの区切りを設定してみようと
なんとなく思ったのです
腸炎で強制的に身体から抜け出たものがあったように、今度はそれを自分でやりたいように設定しようって
それでこの新月に以前から行ってみたかった仙酔島に行くことを設定しました
広島まで運転するのも初めてだったけど、初めての場所に素敵なお店が結構あって、海辺のなんともいえない景色で、ものすごく楽しかった!
海を渡るのも、テンションがあがる笑
来るまではゆっくりここで自分と繋がろうって思ってたんだけれど
最初に「ここまでこれてよかったね」って自分に言ってみると
思った以上にこみあげてくるものが大きくて
その熱いものを感じきったあと
温まった身体にやっぱり「ありがとう」とたくさん言いました
海に入って、笑えるほど楽しくて
砂浜にあがって「ありがとうございました!」って言って
暖かいお湯にまたつかって
自分で決めてやってきてるけど、やっぱり楽な訳じゃない
その想いを
今ある分は全部出してこれたかな
最後によもぎ蒸しもして
下腹部が温まってきた時、そこにまだ病気と術後の何かが残ってるように感じて
自分の感情が創りだしたもの感じて
ありがとうね、というしかなかった
もう自分のなかにあるものを揺さぶって出し切るしかない
でも、それを自分で見られるように
ありのままってJk風に言ってメンブレです
でもぐい縦ぐい横ぐい斜め的に適当にやり過ごしても
結局はなにも変わらないってボルト的なところぐらいでみんな気付いてる
今までこの「設定」ができなかったからほぼ強制的にやらされることばかり
どうなりたいか、どうありたいか、どうしたいのか、何がしたいのか
自分が少しずつ見えてきたら、その通り行動すること
すこし新しいことが見えてきたかな
帰りの運転をしながら、そんな風に思えました
とにかく身体、軽い!
鞆の浦、仙酔島、とっても素敵なところでした
ありがとうございました
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