楽しむことすら難しかった

あけましておめでとうございます

年末のライブから、京都の実家でのお正月、私の実家でのお正月、自分でその中に居ながら傍観するほどにとても穏やかで和やかな「素直に心から楽しい」時間でした


慣れない感覚というか、どこか心の底から楽しめないような、どこか自分を戒めるような、自分を律するようなことを間違っていて

それを人のせいにして

そんなことすら自分でわかってなくて


ずっとずっと「恐れ」の中に生きてきて、学びをはじめても、遅れてないか、間違ってないかと、綺麗に見せようと、わかることが重要だと勘違いをして、どこがずれてるのかを見ようとしているのに、上手に優等生ぶってわかったフリをして、随分見当違いなことをたくさんやりました


学びでの挑戦ならば苦しくてもやらない怖さからやっていたのに、自分発でやることに自信がなくて、それを楽しむことをしないことが律している「風」で

よくわからないことをしていました

本当に訳のわからないモノを自分の中にみる事があります

そして、そんな価値観で自分も他人をも見ていたんだなあと


学びのためにしている

そこを大きく勘違いしていて、自分が楽しいことは全部エゴで楽をしてるんだと思っていて

意味なく苦しい思いをのせてたんだと思います

びっくりするけれど


年末にライブに行った時、整理券番号が「A1]でした

私だけが先にいれられて、私が席を決めるまであとの人は入れないようにしていて

「自分の決めた自分なりの特等席」に座って

また「大丈夫」とか「どうにかなるんだ」とかいう歌を聞いて泣いて出し切ろう!とか思ってました

でもいつもとは違って、楽しくて

隣のおとなしそうな女の子が私が「うわー!」ってなるとつられて動き出すのが楽しくて

もう知り尽くした曲ばっかりで、どこで跳んだらいいのかも完璧で

そしたらステージからもコンタクトしてもらったりして

はじまる前も数年前に出会っていたご夫婦が私を覚えていてくれていたりして

なんだかただとてもみんなで楽しくて

叫んで、歌って、跳んで、なんにも考えないで心のまんま

そこには知ってる人はだれもいなくて

その空間では間違いなんて、恥ずかしいことなんてないことをもう知っていて

それでも昔は恥ずかしさがあって楽しみつくせなくて

そこはステージのチャボさんが何年も同じように

「そんなんでいいのか!」「そんなんで明日からまたやっていけんのか!」って

ハッパかけてくれて少しずつ出せるようになったことでした


元旦の京都では、義父は介護が必要で車椅子で、家で転んでからもう長いこと外には行きたがらなくて

それが先日なんとお世話になっている施設のかたが競馬場に父を連れて行ってくださって

しかも結構な金額を入れたがる父を心配しながらも、見事5倍にした父(笑)

一気に施設のみなさんと会話が増えたようで

お正月には「競馬はすごかったけど、宝くじはあかんかったみたいですね」とみんなが笑顔で話かけてくださって

父が珍しく初詣に「行く」と

介添えは施設の方が全て見てくださって、そこに家族が同行させてもらって

母にとってはもう何年もできなかった家族での外出が叶いました

もうほとんど声のでない父ですが、寒くても頑張って孫たちと話がしたくて

みんなが笑ったとても素敵な写真をとることができました

素直に楽しんで、思うように過ごした父を見て

周りのみなさんと父との距離は一気に縮まっていました


そして神戸に帰ってきて

息子と姪っ子と祖父がつくったしめ縄で飾られた床の間の前で

みんなで杵と臼でついたお餅も食べて

はちきれるぐらいのごちそうを食べてから

みんなで「ぼうずめくり」をやりました

瞬間にみんなが同じ緊張と間違う楽しさを繰り返して

シンプルにただ楽しくて

みんなが本当にヒーヒー笑っていて

その光景がとても不思議だと思えたくらいでした


私が楽しんだ時

調子にのった時

ずっとね、怒られたり、バカにされたり、間違ってたり、的がずれてたり

小さいころからよくあったと思います

スカしていたほうが間違いがなくて

調子にのるとロクなことがなくて

楽しい気持ちが一気に一気に一気にげんなりして

歌う事も、テレビをみてバカみたいに笑うことも

しなくなっていて

うすうすは気付いていたけれど

おとなしくてお行儀のいい子だと自分は納得しまくっていて


大人になってもそこを綺麗に「できる風」に隠していたなあと

でも、楽しんで調子に乗った自分こそ

本当の自分が出てきていて

それを出さないから、根本が間違っていることにも気がつけなくて

いつまでもなんだかズレているところ


人前で心底楽しんでやることをやらなくなってたな

でも、そこにみんなは自然に動かされるんだなと思った時間でした


毎日毎日

自分のことに自身がなさすぎて、怖くて

頭で理解した学びに満足して

そこからまた「いつもの毎日」の思考パターンに戻って動く


恐れからの行動をして自分に何が返ってくるのか

苦しむことが学びの正しさで

学んで苦しんでるから当然のように結果を期待して

自分の出したものを受け取っているのに

周りの他人のせいにしてました


それでもやりたいこと楽しんでやっていたつもりでした

気が付かなければ

このまま当たり前のようにこんな生活をし続けてました


全てを楽しんでいける

あまりに当然すぎるような

そしてそんなことすらギクシャクなスタート

でも、あったかい

なんだか小さいころに戻ったような感覚です





















サトルうさこ農園

愛そのもののエネルギーであるサトルエネルギーで高波動に整えたサトルうさこ農園で、宇宙と共同創造しています

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