その3 無条件の愛
私は長い間自分自身を愛する感覚を得られないでいました
何ができても、なにがわかっても、いつも赦されない
自分が握っているものが
あまりに沁み込んだ考えかたで、癖で、想いで、その日の呼吸にすら染み込んだ癖
苦しむために体験してるんではなく、幸せになるために体験してるんだと
少しゆるんだ時
私が子どもたちに向けている無条件の愛を、自身に向けてみてくださいと言われました
子どもに向ける無条件の愛は
それこそ無条件の愛であって
何の、何の条件もなく愛している
何をしても、何を言っても、どうあっても私の中では赦される
無条件の愛がなんなのかを、私は知っていた
それを自分に向けた時、最初は磁石の反発のようになかなか重ならなくて
自分が色々とできないことが嫌で
色々、嫌で
それができるようになった訳ではないのに
こんなに赦されてもいいのかな、そう思って
少しずつ染み込ませている間に
自分が自分を守るために、たくさんのいらないものや、いらない言葉や、体験や、情報を、あたかも宝物のように大切にしまっていたことが見えてきて
その基準が私の価値判断になっていたこと
それで自分も人もジャッジしていたことを見せられて
出来る、出来ないの基準なんてものもなくて
自分の大切にしてきたものが、何の意味もなかったこと
無条件ってすごいなあなんて
散々言われてきたことをやっと感じることができました
これからはその価値観が、信じるものが、愛になるように
自分の中に真実の愛、無条件の愛、宇宙の法則、宇宙そのものを抱いて
そこを基にした選択と決断で行動していくこと
愛を差し出していくこと
そこを基にして選択と決断、行動をしていくこと
「間違わない様に進むのではないこと」
いろんな視点で物事を多角的にみれることの大切さは、自分の世界を知らない領域へ広げるにはとても大切だと今は思います
色んな選択ができること
自分で選択できるということ
選択する「チカラ」を取り戻していくこと
完璧にすることでもなく
そん時精一杯生きたか、生かしたか
出来ないとか結果ではなく
後悔しないようにすること
100%自分を愛すること
この辺りは、書きながらまだおさらいのような感覚です
無条件
何度感じても
素晴らしい感覚だと思います
つづく
(写真は菜の花 菜の花と九条ネギの塩だれが一押しです)
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