その5 どうありたいか
自分が不安からの選択したしてこなかったこと
それが意味することを理解しながら
どうやって選択を、覚悟をしていくのか
そんなことすらわからなくなっていて
どうありたいかそこが明確でないのにどこにむかって成長をするのか
でも成長の先は今の自分には見えないんじゃないか、とか
ぐるぐるぐるぐる、また「考える」ことをしだした時
ネットフリックスの「アンソニーロビンス」の映画を観ることができました
私には衝撃の体感でした
もう身体の、心の、生きてる世界の限界でしかない状態の人たちが
その人の外にある世界から渡されるバトンを受けることによって全く新しい世界にはじき出される瞬間
限界だと、もう何もないというしかなかった世界が一瞬にして希望であふれた空間に創りかえられる瞬間
アンソニーロビンスさんが触れる、その人の真我には嘘がありません
その世界には、その空間には嘘も歪みも複雑さもない
とてもシンプルでいてとてもパワフルなエネルギー
今まで学んできた「愛の眼で見る」という意識
私はおこられないように、上手くいうように、良くみられるように、ひとりでも平気そうに繕った自分が全てでした
だから魂の勉強をはじめても、自分の曲がりくねった、複雑な、自分勝手な思考が嫌でたまりませんでした
でも、それを理解できることが何よりも知りたいことでもありました
そして、私がどうありたいかは、その真我の姿になりたいという願いなのかなと思いました
それがあまりに当たり前すぎて、もっと何か自分だけのカッコいいことや、深いことがあるようで、訳がわからず探そうとしていたのかなと
何者かになろうと頑張るから身体が緊張すること
何者かになる必要もなく、産まれたままの魂のまま生きることを自分に赦すこと
その姿でいきても良いこと
頑張る必要などないこと
そこからまた幼い時に置き去りにしてきた自分の魂に対してのワークを行って
そのころから
とても感覚の「粒」が細かくなったことを感じています
力みがないこと
でもその「粒」を細やかに「感じる」こと
粒はこの世界を創りあげている原子のようなもの
そしてその「粒」のどこにフォーカスを当てるのかを細やかに感じること
隣の粒には疑いや不安や他人の言葉の粒もあるけれど
その「どの粒」のエネルギーに色をつけていくのか
そしてその粒を辿っていくことによって
「エネルギーが先にくる」という「先に感じる」感覚が少し、少しずつかんじられてきたように思います
そこにフォーカスすることに集中して
もう、今回の意識の整理できっと今までのことは整理がつくんだろうなと思います
ついてない部分があっても、もうそこにはフォーカスしない
している時間もなくなってきたのと
意識があがれば全てを振い落せると言われたことがわかるから
これからどうなっていくのか、ではなくて
どうしていくのか
決定権はすべて自身が持っていること
自分の内にあるものをすべてコントロールできるようになるために
毎日自分を駆り立てて差し出すこと
でもそのチカラをもっているのは
ちからの抜けた時に見えた真我、そのものであることを赦したわたし
しばらく、このゆるんだ状態に慣れなくて
感じることができるようにもなれなくて
赦すことが、サボるような違う方向にいったりして
細やかにひとりで見ていないと見失いそうで
正直わからないから書けないという時期もあって
長くブログをかけないでいました
(写真の蒸し器の中にはプリンがたくさん入っています)
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