今日は農園のお野菜がずらりと円卓に並ぶお料理教室でした
朝、ayaさんが仕込みをされている間、私はひとりゆっくりチベット体操をしていました。お腹いっぱい息を吸って吐ききって
その向こうで、トントントンと包丁の音や色んな「お台所の音」が聞こえてきます。いつもはお台所に立っている立場なので、寝そべって聞こえてくる音が、こんなにも幸せな音なんだな、と初めて感じました
なにげなく聞こえてくるこの音も波動なんだな、とその時そんなことを思いました。想いが音になって周りに届いていくこと。届いてしまうこと。宿題しながら、テレビをみながら、スマホ触りながら、その傍にこの音が家族の日常に流れているんだな、と思うととっても嬉しい気持ちになりました。
すっかり準備の整った材料を前に、どんどんお料理を仕上げていくayaさん。
レシピも全部綺麗に見やすいモノが準備されていて、書き込みしやすい様に板までつけてくださってました。
お料理が嫌いなわけではないし、下手で困っている訳でもなくて、検索すればレシピなんて溢れるほどに出てくる時代に、お料理教室に求めるものってなんなんだろうって今日までは思っていましたが、全然違った!もう、楽しい!
「自分は知ってる」って思っている感覚って、本当に怖いというか、自身の世界を狭くするなと思いました。
もう、炒めものとかの感覚も全然違ったし、ポタージュなんてポタージュなんて、知ってるけど、できるけど、面倒だっていう想いがあったけど、速さと丁寧さって、要領とか色々あって、どこに丁寧さを置いてサッと仕上げるか、とかね、ayaさんのスタイルがとっても疲れないというか、それでいて、いつもとはちゃんと違った、目が開く味を教えてくれる
その少しの感覚の新しさが胸に届いて楽しくなるんです
私が畑から取ってきたまだ土のつたままのお野菜たちが、あっという間にとっても綺麗にこしらえられて、テーブルで出番を待つ姿がとてもとても愛おしくなる
「作り置きが流行っているけれど、やっぱり作ってから少しずつ味は落ちていってしまうもの。だから、こうゆうソースやタレといったものを作り置きしてサッと作れるレパートリーを持つ方が私は好きなんです」と、ayaさん。
あーなるほど!お野菜がいっぱいある我が家なんてほんとにそう!このゴマソースもちょっとひと手間加えると、野菜のディップソースになって、応用も利いてほんとに美味しかったですよ。夜には大根をディップして頂きました!
ayaさんのスタイルとして、手早いのと要領が良いのと、疲れない、なのに品数も多い、で、でね、それでもって何も強制しない、というかとっても楽なんです。それは普段のayaさんの心がけというか、真摯に自身も内面と向き合って学びをしているからこそ自然とでてくるものなんだなあと、お教室が終わってからゆっくりとお話をさせて頂きながら思いました。
素材そのものに、丁寧なおだしが沁みこんだお料理。おだしの味って丁寧さの想いの味だと思います。
きれいな、素材そのものの美しさが見えるお料理
かぶのポタージュ!とっても優しくて、びっくりするぐらいカブの甘さが出ていました。ついさっきまで畑にいたカブちゃん。寒さもあってか、とっても甘さが際立ってました。
これは胃袋つかまれる!
九条ネギのチヂミ。私の作るネギ焼きとはまた全然違う!九条ネギのレパートリーが増えました!うれしい!
そんでもって、このチヂミのタレが美味しかった!
主婦にとって「お料理」ってほんとに毎日毎日のこと。
そこにどれほど自分をおこして愛を注げるか。
お料理もそうだけれど、お掃除も、洗濯も、あいさつも、日々の瞬間瞬間全てのことに対する意識の持ち方。
「ご飯つくらないといけないなぁ」なんて感覚はとってもとってもわかるけれど、とってもとってももったいない想いだと思います。
「しなければならない」ことだといつまでも思うのか、その想いを自分で書き換えていくか。
毎日毎日、その意識を差し出していることに、まずは気づくこと。
サトルうさこ農園のお野菜たちって、そこのとっても入りやすい入口だと思います。もちろんみなさんの細胞の刷新のこのうえない良質な波動の高い素材でもあるけれど、もっともっと見るべき、見やすい「感情」に寄り添って、気付きを導いてくれるものだと思います。
車に山ほど野菜を積みこんで、うれしいなあ、うれしいなあ、とれたてやし、美味しいもんなー、そういっていつも笑顔で何度も何度も手を振って帰られるお客様がおられます。
きっと楽しい食卓に違いありません。
食べることって、思っているよりずいぶんともっと、とっても大切なことなんだなと思います。
ほっこりとした感覚がじんわり胸に残るお教室でした、ありがとうございました。
0コメント