抵抗や制限
抵抗は、そういう流れになってもなかなかやりたくないとか、気持ちが正直にでているので、それを乗り越えられるかどうかは別にしても、自身で気づきやすい状況だと思います
モヤモヤしたり、気持ちが重たくなったり
それに比べて制限って、とてもそのもの自体に気づきにくいものだなあと思うようになりました
自分で勝手に過去の「当然ここ」を持っていたり、どう考えてもココの次までは考えが及んでも、その次は無理だなと当たり前に思っているところがあったり。相場があればそれが当たり前ラインだったり。その制限自体を意識することなく、その次の設定を決めてしまうというスルッとした流れになって気を留めるスキもないくらいで
もともと稲作をしていた場所だった農園の畑。入口側がどうも水はけが良くなくて、土も重くて、根っこに問題が多くみられる傾向があるので、このタイミングで真砂土を入れました
水はけが良くなったら、手をかけなくてももっと良いモノができるよとアドバイスを受けた時、根本的な改善って大がかりで、まだ知識も追いつかなくて、お金もかかって、大変っていうモヤモヤ抵抗があるのと同時に、根本的に変えるって大きいし、その後の作業全般や出来にずっと関わってくるはずだと思い、それより何より私のアンテナがそれに反応したので、とにかくやってみようと動いてみることにしました。でも、決めたところでとりあえずは真砂土を入れること
それでもご近所さんや実家からは、畑に一輪車でこの土をエッチラ運ぶなんて割のあわない仕事のようで、たいそう呆れられました。この周りから何を言われたりとか、どう思われたりとかには随分と平気になったものだと思います
あまり感覚的にわからない土の注文単位を復習し、大体の量を予測してトラックいっぱいの土を降ろしてもらい、一輪車で運びこむ。大体の土の入れる範囲と置いていく量を考えながら、もうそこそこ自分に満足してくるんです。仕事量にしても、やった感ね
だから、私の頭はこの土を運びこむことで精一杯。量にしても範囲にしても、今あるモノしか見えてなくて、それが今の絶対量。もう一台分土を買い足すことなんて、全然頭にも浮かばずにある量で済ます段取りしか頭になくて。量が足りないなら、入れる量を面積あたり減らすか、入れられる範囲で済まそうとしてました
もう、恥ずかしいほどの貧乏脳です
「そもそもさ、どこまで入れたかったの?」「どこまで改善がいる状態やった?」そう聞かれて、やっと正気にもどる。もう一車買ってもいいというお許しを自分でだせなかったのです。一車買うので精一杯大仕事な私の頭。そもそも完全に、もう一車買い足すなんてそんな考えすらなかったし
そんな仕事の1つのお話でしたが、以前にも自分が設定した数字が制限だらけのことがありました。それも思い出し、少しずつその「制限」が自分にないかを色んな場面を見る時に感じられる意識を持つようにしています
日々の中こそ、実践。どこかで学んで気付いていても、知っていても、毎日の行動が、意識が変わることが、気づくことが大事。日々の行動が、言葉が変わってやっとだな、と思います。どんなしょうもない事でも、そんなしょうもない日々の事こそだと。日常から離れたところで、その時の意識だけ穏やかでもなんの意味もない。子供に、天気に振り回されそうになって、寝坊しかけて、あわてふためいて、そんな毎日を割としなやかにスルスルと抵抗なく過ごせるようになって、やっと全ての抵抗は自分そのものだったと思えます
制限を見るたびに「それでいいんですね?」と自分に問います
「その範囲でいいんですね?」
それがゆだねる世界に確実に反映される自分の世界です
「いいえ」
そしてその先はもっと具体的に明確にして自分の世界をひろげていくようにしていこうと思います
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