随分と前の子育て全盛期に友達が、「うちの旦那さぁ朝4時に目覚めるんやけど年かなぁ、とか言うけど。10時に寝たら目開くわ!」って話をしていて
あまりにもスッキリしてるこの朝にそんな事を思い出しました
私は服を作る事も好きだったので、双子の居る大きなお腹でユザワヤで何本も生地を引っ張りだしてそこら辺にいた奥様方を集めてしまっていて、もうあまり動かない様にと言われてから、ひたすらベビー服を作ってました
子育ては大変だったけど、命と向き合っていた時期でもあり、100%全力投球で、そんな風に家にいて子育てをさせてもらえてる環境にも感謝しかなくて
今思えば酷い貧血で、朝も起きれないけれど、おかあさんと一緒も録画してあったし、隣の奥さんは私と同じようなペースでキティちゃんのパジャマで現れてくれてたので、罪悪感を持ちながらもなんとか追いついていて
それでも、久しぶりに服屋さんの店員さんと新作について話したかったし、クルクルのパーマもかけたかったし、毎月韓国に行く下着屋さんのおばさま社長にも会いたかったし、レイトショーも見たかったし、子供達の毛糸の帽子も編みたかったし、最後の来日かもしれないGUN’Sのライブにも行きたかったし、まだまだ演劇を見るのは諦めていたし、テレビの録画も極端に減らしていたし、行きたい所なんていくらでもあった
子育ては辛くなかったし、可愛くて仕方なかったし、持って生まれてきた病気のことで、知らない世界が広がって、私を大きく大きく育ててくれていたので、手を抜きたいところも見つけられなかった
だから、寝かしつけている間、一緒に寝ているフリをして、必ず起きてきて「自分の時間」がはじまって
好きなお菓子を一人でたべながらテレビの録画を見たり、ミシンをかけたり、mixiを覗いたり、そんな時間が必要で
小学校になって少しパートをはじめても、夜に出るという時間を過ごしたくなって、明け方までやっているラーメン屋さんに行ってみたり
そんな子育てがはじまってもうすぐ18年
17までに、一緒にいても自立しているように育てることが目標だったので、子供達にもその事を伝えてきてはいて、子どもたちは本当に賢く自分の世界を創るようになりました
制限のない自由の怖さもわかっていて、とても頼もしい
さて
この自分の時間を過ごしていた「わたし」と、子育てをしていた「わたし」
これが全然溶け合ってなかったんだなぁと
2重生活のような、二人分生きてきたような
そんな感じ
昨日、もう長いお付き合いになるけれど、1回ほどしかあった事のない、勝手に遠くにいる兄のように思っている、そのお兄ちゃんから届いた「何度も言いますが、無理はダメ」というメッセージを見て
うん、もうしないと思う、そう思いました
なんて幸せで人に恵まれた子育てだっただろうと思う
もうあまり関わらないとは言え、側でまだまだバタバタしているし、まだまだ一緒にメルカリを見まくることもあるだろうと思う
それより「わたし」
このタイミングで、きっと身体はさらにさらに元気になっていく
贅沢に休む時間もこの年なりに知ってきたし
この入院で、本当に何もしない事がどういう状態かも身体でわかったし
リセットする瞑想も体感を増してきた
やればいいんだ、思いっきり楽しんで
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