先日、開腹の手術を受けました。麻酔から覚めた時に、背中には硬膜外麻酔という痛み止めを絶えず流しているような管が入ったままになっていて、お腹の痛みがほとんどわからなくて(個人差はあるらしい)、その代わり寝ていて床に着いてる部分が少しシビれたような感覚でした
前に手術をした時や帝王切開の時は、痛いのに術後にトイレに歩かされていて、とても苦痛だったのでその痛みをよく覚えていました。今回術後3日目にその痛み止めを抜いた時には、もう錠剤の痛み止めを飲めば平気なほどで、ホントに日々医学は進歩なんだなぁといった想いがありました
そこから今日は、全然違う医療の現場。老後を看取るという場所におられる先生とお話する機会を頂きました
身体が起こす、神秘的な働き
自分の身体がその状態をつくることができる
うつら、うつらと自分で痛みを和らげ、必要のないモノをとらず、うつら、うつらとした穏やかな状態へとゆっくりと
その状態を点滴だの酸素だのの医療ができるだけ邪魔をしないようにね
病院で治療、治療を限界までやって戦ってる医者は、自分がその時を迎える時にパニックになるんじゃないかと思うよ、そう終始穏やかなお顔の先生は仰られていて
身体におこる、その様子を説明しながら、その都度、うつら、うつらとした状態という言葉を使われていて
のたうち回って死ぬなんてことはないんですよ、うつら、うつら、うつらうつらと穏やになっていく
身体がそれが、できるんですよと
みんなね、昔はそれを家で見てきたんだけどね
だから、怖くないって知ってたんだけどね
私は祖父はもう幼い頃にはいなくて、祖母は最後は急に体調が悪くなって病院に運ばれてしまったので、そんな穏やかな看取りの経験も知識もなくて
1月に岡山で「生きる」テーマの講演会で、思いもよらずたくさん死ぬことについて聞きました。それも、とても意識の変化が起きたお話でした
今まで、大丈夫大丈夫で、身体の感覚をほったらかして生きてきて、入院とそのタイミングで読めた本から、身体こそが知っているんだという細やかな感覚を覚え
最後の退院のタイミングで自身の術中の写真を見せてもらって、身体がちゃんと全てを受け止めていた事を、見せられました
今日、その身体が自ら起こす神秘的な最期のお話を聞いて、意識と身体の細やかな感覚が混ざるような
細やかな細やかな感覚を感じています
冷えた身体を、縮こまった身体を、硬くなった身体を緩めること
頭で必死に解決方法をあーだこーだと探るより身体からケアする、そのことの真意が恥ずかしながら、長い間少しも解らずやっていたけれど
身体からの気付き
荒い思考からの気付きから少しずつ、そのより細やかな気付きへと変化してきたのかなと
書きながら、そんな想いに辿り着きました
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