日常に戻っていくというよりは、新しくはじまった時間を確かめながら生活するといった毎日を過ごしています
怠惰なのか体の不調なのか、自分のそんな状態ですら把握できずに忙しい忙しいとやみくもに過ごしてきたような時間だったと、今を過ごしながら感じます
これまでのどんな休みよりも、夏休みよりも夏休みらしい長いお休みを過ごさせてもらっているなあと思いながら、別段寝ている訳でも家事をお休みしている訳でもなく、畑の仕事もはじめていて、そうすると同じ事をしていても世界は全く変わっていて
「どれだけ穏やかに生きたのか」その穏やかさというものをやっと自分の内に迎え入れることができたのかもしれないと、そんな風に思っています
病室で過ごしていた時間があまりにも「穏やか」でほとんど面会もなく過ごしていたので、人から受ける、見られる、受け取られるエネルギーもなくて
そして、そこから日常に戻った時にその「穏やかさ」が曇るタイミングをその都度感じることができるようになりました
大抵は外を向いていて、その事やその人に思考や判断がめぐる。正しいか間違っているか
そしてその判断を、ジャッジを手放していく
我ながらとても基本中の基本な内容で(笑)学びを欲して解りたくて理解したくて、知識ばかりを欲しがっていた時には一番上滑りをしていたことであって
自身の内側の意識に問いかけて、問いかけて、問いかけ続けること
その終わりのない世界
そして、なくなっていく私と繋がっていく世界を現実世界に現わしていくこと
こんな抽象的な言葉では、なかなか読んでくださっている方々にとっては外側のうさこさんの話であって、自分の生活にその意識を向けることは難しい。だからこそ日常をもっとそのまんまシェアすることによって自分と重なる部分から少しずつこの世界を感じていってもらえることができたらと思います
細やかにそのまんまの言葉や想いをアウトプットすることは簡単な様でなかなか意識とは深い繋がりがあって難しい
私もあさるようにネットを見て答えを探していた頃は日常とはかけ離れた難しい書き込みばかりに心を惹かれて、自分を知る、内側の意識、何枚もめくったところにある意識、本当に思っている事、そんな溢れている言葉からは何も掬い取れなくていました
私が学びをはじめた頃からご縁のある言葉の一つが「education」そのまんま「教育」という言葉でしか認識していなかったのですが、educationとはeducoというラテン語からきたものらしく「人間の内部にもともと備わっている才能を引き出す」という意味だそうです。これが教育の本来の意味だと
educateは「外へ引き出す」が原意。「啓発する」という意味合いで、表に出ていない「能力や発想を引き出す」ことを意味する
長期間にわたって幅広い知識を与えながら、生きるために必要な教養や知識など教え、人を「育てる」という意味になります。人が持っている潜在的な素質や能力を引き出し、さらにはそれを発達させてあげるというニュアンス
もともとあなたにあるものを引き出すこと
農園をやってお野菜を作って、毎日欠かさずみんなが触れる「食」というところに居て、私はそこを「わかりやすい、取り入れやすい入口」に選んだだけなのです
波動の高いモノ(野菜たち)が繋げてくれる、見せてくれる世界
私は、みなさんが私に見せてくださる世界から私を手放していく
educateには「反復して習得させる」ことの意味もあるようです。その段階段階で、見えてくるものが違ってきます
私が繰り返し外に出していく想いが、誰かの何かを引き出すことがある
これまで何度かとてもわかりやすく手渡されてきた「education」の言葉をフラグにして、ただ繰り返し自身に問いかけながら
それでも今までとは違う動きも4月からははじめていこうと今動いています
これまでよりもみなさんと出会う時間ができるような方向なのでお楽しみにしていてくださいね
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