退院をしてから少しずつゆっくりとと思っていた時期に、義父の容態があまりよくないという連絡がありました。もう何年も前からベットに寝ていることがほとんどで、それでもいつも本当に良いタイミングで良いご縁を頂いて、その時にお世話になっていた所では車椅子で競馬場にまで連れて行ってくださったりと、やりたいこと、目標をもって暮らすことに寄り添ってくださる素晴らしい場所でした
それでも家に帰りたいだろうと、家族がそれぞれに少しはそんな想いを抱えていたのもわかっていたので、私ができることをこれまでもぼんやりとは思いを巡らせていて。なので連絡がきてから、まず子供たちにもう少ししたらお父さんの実家に住んで(私だけ)おじいちゃんが家で暮らせるお手伝いをしようと思っていると伝えました。少しづつ自分自身も気持ちの整理をつけながら、主人にも話をして、みんな入院で私がいない時間を過ごしたこともあって、それぞれ自分でやっていけるからといった感じで気持ちは整ってきていました
でも、その話を義母に伝えるために電話をするのができなくて。自分の中で決めているのと、その想いが外に出て動き出す事の間で、とても強いブレーキがありました。それでも、もう家族に話しをしたという事もあって自分で感じていたブレーキよりも早く電話をすることができました。義母の反応は思っていたよりもあっさりそんなことは無理だろうからいいよという返事で、とにかく病院に行ってこれからの話を聞いてこようという事になりました
そうやって動きだしたものの、そこからの時間は「看取り」の時期でもありました。たまたまその連絡をもらった時に、お見舞いがてらうちに友達が来てくれていて、夜になってだんだんとジワジワ実感が襲ってきて「私、看取るんだろうかなぁ」ってその友達にメッセージをしてました
1月に岡山に講演を聞きに行ったのですが、「今をどう生きるか」というテーマでしたが、「死ぬこと」「死ぬ時」そんな話をたくさん聞かせていただいていて、その話がなければもっと「死」に対する認識も違っただろうと思い、もっともっと怖かっただろうなと思って、ものすごいタイミングで事が動くなあと思ってもいて
看取るという場所にいることで、やってることに取返しがつかないような気がしたり、自分がやってることが正しいか間違ってるか怖くなりそうで、気持ちがザワザワしたりしました。わからないことだらけの怖い世界、でもやり直しはできないな、怖いなって
そこから、私は義父をどう看取りたいのかな、そう考えて、人の最期に自分がどうしたいかなんて、ものすごく傲慢な事を考えているのかなと思ったりして、頭であれこれと考える意味があるのかもわからないので、とにかく経験をさせてもらうだけだなと
そして、それでも私はお父ちゃんが苦しむ最期を見るのも嫌だし、一緒に穏やかな最期を迎えたい、もしそれが困難になりそうなら、たくさんの方に助けてもらおう。そういう気持ちを一旦そこに据えて、あとは私が体験するべき時間を迎えようと思いました
ブログで書いた「うつら、うつら」の看取りの現場にいる先生に聞かせていただいた時の話はこの時のお話でした。何人もの方を看取られて、こんなにも穏やかな最期を当たり前に話される先生がいるのかと、私は見たこともない世界を見せられた気持ちでした
この世界を信じようと、とても落ち着いて私は全部を受け入れて、今から体験させていただこうと、そう気持ちがストンと落ち着いて
それから義父と声にはならないけれど、少し横に動かす指先と頷くしぐさとで、ゆっくりと話しをして、おとうちゃんが伝えようとしていることがわかった時にわかった!というと口の端が少しあがって、うれしそうな顔に見える、そんな時間を過ごしました
そしてその次の日に、思っていたよりもずっとずっと早いタイミングで、おとうちゃんは亡くなりました。最期に会話はできなかったけれど、まだあたたかな両手を孫たちに握られて、私たちはそのあたたかさを穏やかに感じながら最期の時間を過ごすことができました
どう看取りたいか、人の死にとても傲慢な気持ちではないかとそう思ったのですが、私はその時に自分が何を思っていたのかを明確にしていてよかったと思っています。友達がたまたまいて、メッセージをしていた事も必然で、ただ体験させられることはわかっているけれど、自分の中にあるモノを体験を通して見ていくこと。そこには自分がこうだと知っておくことも大事だなと。その事に対して自分がどんな意識を持っていたのか。どうなっても、そうなる事は決まっているんだと、そう何も決めないでこっちなのね、そっちなのね、と後からついて歩いては、その体験から自分の何も知れないのではないかと、なんだか後出しジャンケンのようだなと思ったのです
私の切り替わりのタイミングは「覚悟」を決めた時。義母に電話をかけた瞬間でした。そうやって覚悟を決めて事を自分で動かしていく
怖くても当たり前、何にどう思っているのか、あとは見ていくしかない
その覚悟のラインを自分で越えていくかどうかで、あとの時間が変わってくると思います
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